埼玉 秩父神社②豊受大神宮【“こうありたい”と強く思い描く】

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秩父神社本殿の斜め後方には、「皇大神宮」(本殿正面向かって右側)と「豊受大神宮」(本殿正面向かって左側)の2社が、まるで脇を固めるように祀られております。

前者の御祭神は、伊勢の“内宮”の天照大御神で、日の神・日本の総氏神と言われております。

一方の後者は、伊勢の“外宮”にお祀りされております豊受大御神で、日の神に御仕えする五穀豊穣の神です。

本日は、豊受大神宮にての神の御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「人は、何かしら動的な(能動的な)作用を、いずれの者も心に抱き(=思い描き)ます。

それは生来の(人間に備わる)本質とも申しましょうか、大前提として人は生命を維持してゆかねばなりませんから、俗に言うところの“欲(欲求)”を、繰り返す日常のなかに様々に織り交ぜつつ、自らの人生を辿ることになります。

この度、(われらが)突き詰めたい(言及したい)のは、今ある自分から何かしらを生み出す、あるいは変化を得るための、動的な“こうしたい”という欲求です。

今ある自分(の姿)をつくづく省(かえり)みますと、(理想として)思い描く姿とは少なからずかけ離れており、ゆえに、何かしら“動く(行動する)”ことにて、(その差を)僅かでもまかなっていく(埋めていく)ことを目指すのではないでしょうか。

ですが、たとえば“こうしたい”という感情は、その行為が叶うか叶わぬか、そういったある意味での“二元(二元論)”を主(主軸)といたします。

真実(=本当は)、老いも若きもあながたにとりて欠かせぬのは、“こうしたい”という動的な欲求以上に、“こうありたい”という自らが真に求める(目指す)姿なのです。

では現実(の世界)にては、はたしてあなたがたはいかがでしょう?

悉(ことごと)く視界(=視野)が、狭い”ーーーー

こう表す(表現する)と、むしろお分かりになりますか(=理解できますか)?

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(ここで、神はそれまでの硬い表情から、ふと笑顔になられました。

どうやら、前述の本殿にての神の厳しき御言葉を受けて、御自身から発せられる御言葉の類いを変更なさったそうです。

《実のところ、われら(=伊勢の神)は、この度そなた(Rinokia)に授ける言葉を、(ブログの読者向けへ)柔和(な表現)にすることを考えておりました。

ですが、大神様方(※ここでは、本殿に祀られる御祭神方のことです。)の誠に厳然たる(厳しき)御言葉を拝聴し、そこに引き継ぐ(引き続く)言葉もまた、より皆々の心へ刻まれる(訴えかける)べく、確然とした(=はっきりとした、厳格な)言葉にしてまいろう、そう思った次第です。》

とおっしゃられました。そして、真摯な眼差しで御言葉を続けられました。)

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こうしたい、という欲求は、得てしてその時どきの状況(あるいは心情)によりて、定まることを知りません。

あちらへ、そして(今度は)こちらへ、というように、実に移ろいやすい(=彷徨(さまよ)いやすい)のではないでしょうか。

無論、“こうありたい”とは、(他の)誰が強いるものではありません。

ですから、“私はこうありたい”という、自らが発起(=基点)の、真にあるべき姿を、つねに、そしてどこまでも目指していく、この心意気で、己の向けるべき場、いわば(今世一度きりの)幾多の“人生の選択”を、果敢に切りぬけていこうではありませんか。

現実はいかに厳しく(困難に)あろうとも、“私はこうありたい”と願い、涼やかに(颯爽と)生きる者は、真に清々しい。

その姿が成せる(=できる)のは、事実、“こうありたい”という誠にしなかやかな、かつ強き“信念(志)”が、自らの(人生の)道程を、天(=高いところ)より明るく照らし出すがためなのです。

人生の光明は、けして授かるものではありません。

(こうありたいという)自らの信念をより高く掲げ、自らがより強き光明を創り出すーーー

これが、あなたがた(人間)に元より備わる、“大いなる力(=才能・能力)”なのです。」

(次回③へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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