神の詩 第一章第四~六節 2

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神の詩 第一章第四~六節の続きです。

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「ヨーガ・スートラ」のパタンジャリ大師は、
ヨーガの実践に当たり、
八段階、八支に分けています。

そのことから、
ヨーガ・スートラは「アユターンガ・ヨーガ(八支分のヨーガ)」
とも呼ばれています。

それらは、
1 ヤーマ(禁戒/日常の心得:非暴力、正直、不盗、非所有など)
2 ニヤーマ(勧戒/日常の心得:清浄、知足、精進、神への祈念など)
3 アーサナ(体位法/肉体次元の自己制御)
4 プラーナヤーマ(呼吸/呼吸次元の自己制御)
5 プラーティヤハーラ(制感/感覚次元の自己制御)
6 ダーラナー(精神集中/知性次元の自己制御)
7 ディヤーナ(瞑想/深い次元への到達)
8 サマーディ(三昧/合一)
ここで再度アルジュナ側の軍人たちを見てみましょう。

ドリシタケートゥDhrishtaketuは、
サンスクリット語dhris(勇敢に、大胆に、攻撃する)とketu(酋長、リーダー)を合わせた名前です。
勇敢さや攻撃性をコントロールする枠割を担っています。
これは自分と他者との関係性を制御する大切な資質です。
霊的進化に反する行いを正し、過去の過ちによるカルマを解消する手助けをします。
八支分のヨーガのヤーマを意味しています。

ヤーマと似たものに、
モーセの十戒がありますが、
これは石の板に刻まれています。
石の板とは、大脳の特定の脳葉の象徴です。
いまだ物質世界の固定観念に囚われてたままの人たちは
物質世界だけに石板を追い求めてしまうようです。

シャイピャShaivyaは、
サンスクリット語si(すべてのものがそこに在る)、そしてshiva(慈悲深い、縁起が良い、幸福、繁栄)などに関連した言葉です。
自分自身のために善き行動を掲げ、
自身の内側を豊かにする役割を担っています。
八支分のヨーガのニヤーマを意味しています。

クンティボージャKuntibhojaは、
ヤドウ族の長シューラ王の従兄弟。子供が出来なかったため、シューラ王の娘であるクンティを養女としてもらい受けています。
クンティKuntiの本名はプリター。
クル王パンドゥの妃になりました。
ただし、パンドゥ王は呪いのために性交渉が出来なかったため、
クンティは、神々の真言で子供たちを授かっています。
ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナの母であり、双子のナクラ、サハデーヴァの育ての親です。
パーンドゥ五人兄弟をまとめています。
クリシュナの父の妹でもあります。
安定した身体と心を持つ人です。
霊的解釈でのクンティは、生命エネルギーの象徴であり、誰に対しても分け隔てなく接します。
クンティの育ての親であるクンティボージャは、
このクンティとサンスクリット語のbhuj(治める、統治する)を合わせた名前となっています。
肉体次元の制御を司る役割を担っています。
「ヨーガ・スートラ」の第二章姿勢の部分には、
「安定した楽な姿勢でなければならない」とあります。
これはとてもシンプルな書き方ですが、
安定した身体の姿勢のことと解釈されがちですが、
その他にも、
エネルギー体の安定した状態や心と精神の安定した状態をも同時に意味しています。
クンティボージャは、八支分のヨーガのアーサナを象徴しています。
クンティボージャ(姿勢を正して)がクンティ(生命エネルギー)を真っすぐにのびのびと育てるという意味が隠されています。

ユダーマニュYudhamanyuは、
サンスクリット語のyudh(戦う)とmanyu(崇高な、情熱)
を合わせた名前です。
これは崇高な決意と情熱を持って戦う性質を意味しています。
このエネルギーの産生には、呼吸が大きく関与してきます。
呼息と吸息と保息の三つから成る呼吸は、霊的進化に欠かせない重要な要素の一つになります。
ユダーマニュは、八支分のヨーガのプラーナヤーマを象徴しています。
プルジッ卜Purujitは、
サンスクリット語のpuru(たくさんの)puri(砦、安全地帯)とjit、(勝利を得る、制圧する)ji(鎮圧する、抑える)を合わせた名前です。
感覚器官を刺激する地上の様々な誘因から離れて、感覚器官を静謐に保つ役割を担います。
プルジッ卜は、
八支分のヨーガのプラーティヤハーラを象徴しています。
スパドラーの息子Saubhadraは、
Son of Subhadra(スパドラーの息子アビマニュAbhimanyu)。
スパドラーはアルジュナの妻の一人です。
サンスクリット語のabhi(強さを伴う、~に向かって)とmanyu(崇高な、情熱、精神、気分)を合わせた名前です。
崇高な情熱を持って到達する。
スパドラーの息子は、
ダーラナー(精神集中/知性次元の自己制御)、ディヤーナ(瞑想/深い次元への到達)、サマーディ(三昧/合一)の三つを合わせたサンヤマの象徴として表現されています。

いままで「ヴァガヴァッド・ギーター」を読んできたほとんどの人は
これらの節はさっと読み飛ばしていたのではないでしょうか?

聖典に無駄な言葉は
一言一句ありません。

それをまず念頭に置くことです。

たった一節だけを掘り下げても
自分の中で消化して
応用するまでには
相当な時間を費やすべき内容です。

まだ続きますが、
もうすでに
ほとんどの人が息切れしているので、
ここで
一呼吸おきましょうか。


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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