東京メトロ丸の内線の四谷三丁目駅から歩いて5分程の閑静な住宅地に佇(たたず)むのが、“縁結びとお岩様のお寺”と称される「長照山 陽運寺」です。
このお寺は一見、お洒落な和風カフェかと思うような、狭いながらもとても素敵な雰囲気です。お参りされるのは、“縁結び”と称するお寺からか、若い女性が多い印象です。
ちょうど約3年程前にも、ブログの記事として、陽運寺の意識体との対話を載せさせていただきまた。
今回のお参りも、とても久しぶりでしたが、限りある時間のなかでゆっくりと意識を合わせ、一つひとつの御言葉をわたくし自身も噛みしめました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
***
(Rinokiaが問いました:これからの時代に、わたくしたちが心がけていくべきことは何でしょうか。)
「あなたがたのこの世は、数年にわたり実に様変わりしております。
無論、それら(の様変わり)に付随し、あなたがたもまた既存の観念(価値観)や、さらには生き方そのものも変わっているでしょう。
目まぐるしい時の流れにあって、これに乗じる(=うまく適応する)のもまた、あなたがた(人類が)獲得した(=体得した)生きる術(すべ)でもあります。
ですが、今や時代を過ぎる(=時代遅れの・古臭い)と思われているもののなかには、実に珠玉の美しさ(=良さ、魅力)があるものです。
人が日常を過ごすのは、文字通り“千差万別”ーーー 様々な術(すべ=やり方)があります。
もっとも肝心なのは、日々途切れることなくその生命を存続させるがための、万事(あらゆる面を)滞りなく満たしていく(済ませていく)ことです。
ですが、わたくしがもしあなたがたに、今の時代にあってなお求めていくべきとしてお伝えするのであれば、それはひとえに、“今少し(=もう少し)の向上”を求め、常に(その意識を)心に据えていくことです。
この意味においては、単に生活ができればそれでよい、ではなく日常僅かな(些細な)物事にも、きちんと心を向けていくことが肝要となります。
虚(うつ)ろな観念、行く先の漠然とした感覚は、生きる上での“輝き”を失わせます。
ですので、人生の潤い(=充実・やりがい)は、心を投じる(=きちんと意識を向けられる)姿勢とこまやかな配慮こそが欠かせません。
ほのかなる(=ほんの些細な)心遣い、所作、そして言葉遣い ーーー
これらの懇(ねんご)ろな積み重ねによる“功(=本当の凄さ)”は、実に計り知れません。言葉ならずも、挙動(=立ち振る舞い)、そして雰囲気にこそ、その人の真の姿は在るのです。
ですが、けしてこれらは一朝一夕に身に着くものではありません。
日常の繰り返しのなかの、その一瞬一瞬を懇ろ(大切)に生きることにより、少しまた少しと培われ、いつしかその人こその姿となるでしょう。
ですから、けして大袈裟な意ではなく、生きることそのことを、僅かでも美しく(スマートに・颯爽と)おこなう、いわば“粋”の要素を試みることです。
この“粋”は、あなたがたの先人たちが長らく培った、この国(日本)ならではで重宝(=
=大切なもの)とされた物事も、きっとあるのではないでしょうか。
(少し間を置きました。)
この世に生きるとは、それ自体が、珠玉の(=またとない)出来事です。
ですから、その珠玉の出来事を、生命としてまさに請け負う(=生きる役目をいただく)あなたがたには、自らの日常においてその(珠玉の)象徴として、古きも、そして新しきも兼ね合わせ、(向上する)良き姿を求めていただきたいのです。」
以上。
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。
■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
Source: 神々からのメッセージ
コメント