前回の「長照山 陽運寺」は“お岩さん”で有名ですが、こちらもまたお岩さんにゆかりの深い神社です。両者はちょうど斜(はす)向かいに建っているため、続けてお参りすることができます。
お岩さんこと“田宮 於岩(たみや おいわ)”は、実在の女性で、田宮家の繁栄を支えたと言われております(2018年5月1日記事)。
そこから、商売繁盛をはじめ招福や家内安全などの御利益があるとされます。
田宮稲荷神社は、別名“於岩稲荷”とも呼ばれ、御祭神も“豊受比賣大神(とようけひめのおおかみ)”の他、“田宮於岩命(たみやおいわのみこと)”をお祀りしております。
今回は、商売のみならず、益々人生を幸せに栄えていくためにと神の御言葉をいただきました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
***
「“人生には迷いがつきもの”ーーー
人はこのように言います。
世の中のあらゆる場面で、人の動向が目まぐるしく変わるさなかにあっては、たとえ頑(かたく)なに志をもつ者ですら、ときに目前の事象(状況)に心揺らされることもあるでしょう。
今や、変化のうねりを絶えず現す世にあっては、その迷いすら棚引(たなび)く風のように、あちこちへ彷徨(さまよ)う状況です。
それでは、人は以後どのように生きていくのが望ましいでしょうか。
無論、人の世は進みます(=留まりはしません)。この意味では、何かしらの物事がひいてはいずれかの結果となり、それがまた次なる物事の起因ともなるのです。
変化のなかにも、内実(=実際には)人間と、そしてこの世(現象界)の順繰りとした流れ(巡り)があるのであれば、この変化もまた、次なる勢いのための良き高揚や、弾みとなっていくべきでしょう。
これについては、古(いにしえ)より、人は、“験担(げんかつ)ぎ”を、日常の大切な要素としてまいりました。
つまりは、良き物事を現実化させるための“サイクル”を、これぞと心に決めし物事を繰り返しおこなうことで、自らの生きる力(=行動の弾み)としたのです。
“信じる者は救われる”という言葉があるとおり、単にそのもの自体の状態よりも、それに関わる者の“信心”によって、物事が結果として良き状況となることも、単に迷信ばかりとは限りません。
そしてまた、巷(ちまた)で言われるところの“不動の精神”とは、けして心を動かさないことではけしてありません。
むしろ、動くことを大前提とした流れのなかにあって、自身の心持ち(精神状態)を、その動きの波のなかに、それでももっとも中立の、確たる状態へと据(す)える、実に緻密なる“調整力”なのです。
ここにあって、先の“験を担ぐ”は、一つまたひとつと人生を積みゆくに際しての、信心こそが築くことのできる、頑強な礎(足場)となることでしょう。」
以上。
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。
■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
Source: 神々からのメッセージ
コメント