神の詩 第一章第二十四~二十五節

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神の詩 第一章第二十四~二十五節

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サンジャヤは行った、バラタ王の子孫よ。
「アルジュナにこう言われて、クリシュナは、両軍の中間に、ビーシュマとドローナとすべての王達の面前に、最強最高の戦車を止めて言った。「ブリターの子(アルジュナ)よ、集結したクル族の人々を見よ」と。

(二十四、二十五)」

サンジャヤは、
盲目のドリタラーシュトラ王に向かって、
バラタ王の子孫
と呼びました。

バラタ王の子孫とは、
バラタ族のことです。

古代インドにおいてガンジス川上流域を制覇し、
インドの歴史にとても大きな影響を与えた部族です。

後期ヴェーダ時代には、
バラタ族は、
クル族としてガンジス川流域から大きく勢力を拡大していき、
全インドは
バラタ族が征服したと称されました。

そのため、
インドは
「バラタ族の地」
となったため、
「バーラタ」
と呼ばれています。

これは、
現代にも引き継がれており、
インドの正式名称として「バーラタ」が使われています。

今回の大きな戦争のように、
バラタ族の中での戦争によって国力が衰退し、
時代と共に分裂して勢力を失っていきました。

ここで
サンジャヤが盲目の王のことを
「バラタ王の子孫」
と呼んだことにより、
今まさに戦おうとしている味方も敵も、
どちらも同じバラタ族出身であることを、
盲目の王に再度知らしめているのです。

(元々は統一した自己が二元性の中にいることを
無智となった自分に知らしめているということ)

クリシュナは
それを統括できる
「宇宙意識」
という暗喩になっています。

アルジュナは、
このクリシュナという宇宙意識の力によって、
自分自身の内側を俯瞰することが出来ます。

さらに、
この二十四節の中ではアルジュナは、
グダーケーシャ(眠りを征服した者)
と呼ばれています。

グダーケーシャ(眠りを征服した者)
と呼ばれる由来の話があります。

ある日の夜、
アルジュナが食事をしていた時に、
灯の火が風で吹き消されて
真っ暗闇になったことがありました。

アルジュナは、
暗闇の中でも問題なく食事が食べられることを自覚しました。

そして、
これなら目が使えない暗闇でも弓が使えると感じたアルジュナは、
真っ暗闇の中で弓の修練を行います。

そして最終的に、
視覚に一切頼らずに弓で的確に的を射ることが出来るようになりました。
これに感心したドローナ師は、
アルジュナのことを
グダーケーシャと呼んだのです。

霊的解釈では、
グダーケーシャ(眠りを征服した者)には
二つの意味があります。

一つは、
眠りの時間を長い瞑想に当てられる人。

もう一つは、
マーヤ(幻想)の眠りから目覚めた者、無知から目覚めた者を意味します。

ここでクリシュナは、
眠りを征服した者と、
すでに現在・過去・未来の時空を超えた表現をとっていることの意味を内観して下さい。

地上に来た人々は、
自我と欲望によって真我を忘れています。

この状態で生きていることを「眠り」や「無知」に喩えています。
眠りから目覚めるとは、
低次の自己の思考や欲望から完全に開放された状態です。

さらにクリシュナのことは
フリシーケーシャ(すべての感覚を征服した者)
と呼んでいます。

無知から目覚めて、
感覚器官を支配すれば、
自分の心を支配できることを意味しています。

日光東照宮の神馬をつなぐ神厩舎に
「見ざる・言わざる・聞かざる」
の三猿の有名な彫刻があります。

その八枚の図は、
猿の一生という絵巻の形式を通して、
人が地球に生まれてからの霊的発達するまでの経過を示唆する図になっています。

ここに登場する三猿が
目を隠し、口を隠し、耳を塞いでいるのは、
現象界に埋没し自我意識に阻まれて
実在の世界が見えない、正しいことが言えない、聞こえない、
つまり
「眠った状態である」
ことを示しています。

また
この図には同時に、
「悪い物を見ない、言わない、聞かない」
という霊的進化への第一歩も示されています。

これと同様の暗喩的表現は世界各地に見られます。

私たちは、
物質世界のエネルギーの浪費には関心があるのに、
精神的・霊的エネルギーの浪費にはあまりに無頓着です。

「(悪いものを)見る・言う・聞く」は、
貴重な精神的・霊的エネルギーと時間の浪費でしかありません。

ヨハネによる福音書三章三節には
次のような記述があります。

「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
新しく生まれるとは、眠りから目覚めることと同じ意味です。

この二十四、二十五節とそれに続く数節は、
第一章の最初の大切な部分になります。

アルジュナは、
クリシュナを伴い、
白馬に率いられた最強最高の戦車(馬車)にのって
両軍の中間に留まります。

ここでは
アルジュナの戦車rathamを、
最強最高の戦車ratha-uttamamと
最上級の誉め言葉を使っています。

サンスクリット語のこのuttamamは、
強さ、
壮麗さ、
安定感
など
さまざまな霊的資質を称える言葉でもあります。

アルジュナは、
この決戦に臨むまでに多くの困難を通して、
霊的な資質を磨いてきました。

私たちも霊的進化を望むのであれば、
白馬に率いられた最強最高の戦車を使わなければなりません。

つまり
自分自身の肉体も精神性も霊性も、
日々の純粋な行いの積み重ねを通して
磨いていかなくてはならないということです。

それは
一朝一夕に出来ることではありません。

アルジュナは、
ここまでくるまでに数多くの試練を克服してきています。

続きます。

これは
おすすめ書籍。
日本語のバガヴァッド・ギーターの中で
サンスクリット語との併記が最も読みやすい。

バガヴァッド・ギーター(シュローカ本)
バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ
バクティヴェーダンタ出版ヴェーダンタ出版
1987T


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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