神の詩 第六巻 第九節の途中から抜粋 13

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神の詩 第六巻 
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ここでは
第六章第九節の途中から一部抜粋していきます。

シヴァ神は、
その手に持っているトリシューラという三又槍で人々を突き刺し、
霊的目覚めを惹起しています。

三又槍の三つの先端部は、
愛、行動、智慧の三つや
創造、維持、破壊などの三様など、
さまざまな状態の象徴とされています。

それと共に、
人を至高の道へと向かわせる三種の苦しみ(人間のすべての苦難)をも象徴しています。

それは、
霊性に目覚めかけた人に対して、
その人に適した苦難を与えることによって
霊的にしっかりと目覚めさせるという役割があります。

老子は次のように述べています。

「禍は福の倚る所。福は禍の伏する所。」

禍の背後には福があり、
福には禍が潜んでいるという意味です。

物質世界だけの狭い視野で見ていたら気がつかないことですが、
禍は自らの心が真我と共に選んだ御魂磨きのエリートコースです。

中国の「史記 南越伝」では、
「因禍為福(禍によりて福となす)」
という一文がありますが、
同じような記述は世界各地の物語にも見られます。
この仕組みをわかりやすく説いた有名な逸話に
「塞翁が馬」があります。

昔、中国の北部にある塞上(国境の砦)に暮らしていた一老翁が飼っていた馬が逃げてしまいました。老人にとって馬は愛する相棒であり、
唯一の大きな財産でした。

でもその逃げた馬は、
しばらく経ってからもう一頭の美しい馬を連れて老人の元に帰ってきました。

その後に、
老人の息子がその馬から落ちてしまい、
脚の骨を折る重症になりました。
その後まもなく異民族たちが塞上に襲撃してきました。

塞上近くに住む若者はすべて戦いに参加し、
何とか塞上を守ることができました。
でも、戦争に参加した多くの若者は死んでしまいました。
老人の息子は、
骨折していたため戦争に参加することができずに
命が助かったのでした。
私たちの思考は、
どうしても物質的な尺度からなかなか抜け出せないままでいます。

でも、
「もっと大きく全宇宙的視野を意識すると、
どんな出来事も御魂磨きの嬉しいことばかり」

という思いでいることが、
心の安定した制御には必須のことになります。

もしも、
私たちが地上に下りずに、
地上での体験をしないのであれば、
魂は自己神性を知ることも無く、
内在する力を発揮する機会も無く、
霊性進化の道の途中で停滞してしまうはずです。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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