神の詩 第一章第二十四~二十五節 2

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神の詩 第一章第二十四~二十五節 2

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サンジャヤは言った。
「バラタ王の子孫(ドリタラーシュトラ)よ、アルジュナにこう言われて、クリシュナは、両軍の中間に、ビーシュマとドローナとすべての王達の面前に、最強最高の戦車を止めて言った。「ブリターの子(アルジュナ)よ、集結したクル族の人々を見よ」と。
(二十四、二十五)」

続きです。

ここの数節が何を意味するのかを知らなければ、
この先の深い理解へと進むことは出来ません。

この先は特に、
通常の解釈、
心のレベルの解釈に加えて、
霊的解釈が重要になっていきます。

霊的解釈は、
瞑想と日々の実践を通しながら行うものであり、
ここではヒントだけ触れおきます。

そこから先
自分の気づきが大切だからです。

この節の描写は、
霊的解釈では、
アルジュナが、
両軍の喧騒(自分の心の雑念)から離れて、
眉間の少し上にある第三の眼に意識を集中して、
瞑想状態に入り、

自分の心の内観を始めたことを意味しています。

これは
瞑想の第二段階の状態
を描写していることになります。

第三の眼に意識を集中して観える神の光を、
クリシュナの存在が象徴しています。

聖書では、
キリスト意識の中枢とも言われる第三の眼について次のように述べています。
「目は体の明かりである。だから、あなたの眼が澄んでいれば、全身も明るいだろう。」マタイによる福音書第六章22

さらに、
アルジュナに象徴される
「すべての感覚を制御するために戦う」
時、
クリシュナ(真我)が導きの力になる
ということも象徴しています。
「プリターの子(アルジュナ)よ、集結したクル族の人々を見よ」
これが
「バガヴァッド・ギーター」でクリシュナが語る最初の言葉になります。

両極の中庸に留まったアルジュナに、
よく見るようにと念を押しています。

この戦いでは
アルジュナの軍隊は、
東側を向いて朝日に輝いていたと
「マハーバーラタ」に記述されています。

これは瞑想の時の正しい方角になります。

ここからアルジュナは、
自分の内観が始まります。

クリシュナは、
アルジュナのことを
「プリターの子」
と呼びます。

プリターとは、
アルジュナの母、
クンティの本名を指します。

クリシュナには、
アルジュナに
母の愛、
つまり
無償の愛を持って、
自分の世界をよく内観するように

とアドバイスしています。

それはどういうことでしょうか。

アルジュナは、
ドゥルヨーダナから毒殺されそうになったり、
城を放火され焼死寸前で助かりました。

それからも
国土を奪われるなど、
数々の酷い仕打ちを受けてきました。

その相手を戦闘前の闘志みなぎる状態で見れば、
怒りや憎しみの気持ちが湧いてくるかもしれません。

それは
神の道から自分自身を遠ざけてしまう結果となります。

そのため
クリシュナは、
アルジュナに
あえて
大きな無償の愛を持つ母のことを言及したのです。

人は、
人生の中で
何かを愛さずにはいられません。

そして
愛する気持ちを持って行動することで、
人は成長していきます。

クリシュナの最初に語る言葉に、
その気持ちが隠されています。

人の魂の性質は、
波動が高いので、
高い波動に包まれると心地よく感じます。

無償の愛の波動は高いものです。

思いも
言葉も
行動も、

意識して波動の高いものにしていくことが、
自分自身と世界を真から幸福にしていく最も良い方法です。

次は
二十六節
「プリターの子(アルジュナ)は立ち上って両軍を見渡し、父達、祖父達、師匠達、叔父達、兄弟達、従兄弟達、息子達、孫達、義父達、友人達の姿を認めた。(二十六)」

ここはほとんどの解釈者たちが飛ばし読みしてしまう節です

何度も言う通り
聖典に一言一句無駄はありません。

この節が
何を意味するのか
よく内観してください。

そして
今回はご自分の見方をコメントしてください。
コメントがいくつか出てきたら
始めましょう。

直伝ではありませんので
直接皆様の声を聴くことも無いので

たまには
新しい試みをしてみますね。

もう序章から読み始めてきた人たちにとっては
容易に思えるかもしれません。

どんな内観でも歓迎です。
シェアしてください。

いつも読んでいただいて
感謝しています。

今日もありがとうございます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)

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