大黒天のなかでも珍しい“三面大黒天”をお祀りする浄土宗の英信寺(えいしんじ)は、言問(こととい)通りを渡り住宅地のなかにございます。
iPhoneのナビ機能を使いますと、300メートルの歩行距離とのことで5分足らずで着くかと思いきや、なんと目的のお寺に辿り着けません。
ナビの地図を幾度も確認して、おそらくはこのあたりかと目星はつくのですが、周辺のお宅があるため入口がなかなか見つからないのです。
どうにも行き着けないので、ぐるっと周辺を歩いてみることにしました。
すると、ようやくありました、わたくしが真源寺から英信寺へ向けて歩いていた、まったく反対側の道路沿いに入口を見つけることができました。
どうやら、いったんこの言問(こととい)通りを、数十メートル元三島神社のあるほうへと戻り、そこから改めてお寺の入り口に面した大通り(入谷口通り)を歩くというのが正解の経路だったようです。
場所を見つけること一つにしても、実際に歩いてみると様々な発見があるものです。日々、本当に学びですね。
さて、英信寺の御本尊は“阿弥陀如来”です。本堂向かって左のガラス張りのお堂に、三面大黒天はお祀りされ、正面は大黒天、左に毘沙門天、そして右に弁財天が刻まれているという大変ユニークな御姿をしています。
にこやかで黒光りした御尊像が大変趣深いです。皆様も是非行かれた際には、この大黒様の御姿をご覧になってくださいませ。
本日は、英信寺本堂にていただいた御仏よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「強い力を誇るその姿は、いつしか周りをも巻き込む大きな“潮流”となるでしょう。
この世は、大なる力が(小なる力と兼ね合い)巡りゆく限りは、この強き姿もまたいつの時代にも欠かせぬ存在です。
しかしながら、単に、力の有る無しでその影響(と存在意義)を論じるならば、往々にして、力の有ることがもてはやされる(大事にされる)こととなります。
ですが、われら(仏たち)の願うところは、そこに終始する(=その点にある)のではありません。
かすかなものでも、あるいは、そのこと自体はたとえか弱きものであっても、日ごと“積み上げて”いくことは、なんと強固なる姿でありましょうか。
この世に一体何を積み上げていくか、それこそ人それぞれです。
己を研鑽するべく、努力でしょうか。あるいは、人との愛ある関わりでしょうか。
この世で(最後に)遺(のこ)るのは、自らがおこなった物事のみです。
逆の言い方をすれば、あなたが成した(おこなった)物事は、望むと望まざるに限らず、この世にはいずれかの形で引き継がれて(遺されて)いくのです。
“自分が施した(手がけた)事柄が、後世もなお遺るとしたら、はたして何を遺していきたいか”ーーー
あなたがたは、この言葉を(自身に)投げかけたことはあるでしょうか。
いつか天へ召されるときに、我が身は絶えようとも、それでもこの世に遺るもの、それを、あなたがたは人生を辿るなかで一つひとつ“積み上げて”いるのです。
後世へと良きものを引き継いでいくのは、けして力の強弱や、身分(立場・状況)の高低(に端を発したもの)ではありません。
むしろ、今を生きることの誠意、この世に見せる真心(誠心)のみが、時を超え、また再び、未来に生きる者たちの“力”となるのです。
誠心を積み上げていくこと、これは、事業を成す者(経営者)も、また日常を(恙(つつが)なく)過ごす者も、いずれも心得て(心がけて)いくべき大切な心得です。
なぜならば、これを一つひとつ積み上げた暁(あかつき)には、あなたの目前に広がるその世界はまるで別世界となるからです。
あなたにこそ、その極楽の世を体感してほしい。
先人より大切に紡がれた自らの命の奇跡を感じ(感謝し)、そしてなお、この世に誠心を積みゆき、未来の愛しき光(=後世の人々)への希望の架け橋となる、この連綿と続く命の繋がりを、あなたに体感していただくため、われら(御仏)はいつの時代にも在るのです。」
(次回③(2)へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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