今年もありがたくない“母の日”がやってきた
今年も昨年に引き続き、
“母の日”は何もなし
母が亡くなってからも、
毎年、色とりどりのカーネーションを
実家の仏前に供えていた
が、昨年は、
新型コロナウイルス感染拡大により、
実家には行かなかった
そして今年もこんな状況
今回の母の日も、
実家に顔を出すことはなかった
小学校の低学年の頃だっただろうか
今でこそ様々な色や形のカーネーションがあるが、
昔は“母の日に贈るカーネーション”と言えば、
“赤”だった
「お母さんがいる人は、“赤いカーネーション”。
お母さんがいない人は、
“白いカーネーション”ねー」
と、担任の先生が生徒に1本ずつ、
造花のカーネーションを配っていた記憶がある
白いカーネーションを受け取った生徒は、
クラス中の注目を浴びる
そして、
「○○君、お母さんいないんだ...」
そんな声が、そこここから聴こえてくる――
今思えば、酷である
生きていても別れても、
たとえ亡くなったとしても、“母”は母
母がいたから、自分がここにいるのだ
色で分けていた意味もわからなくはないが、
おそらく今なら、
そのようなことはしないだろう
母の日が来るたび、
そんな哀しい記憶が蘇るのだ
“母の日”は、来年も再来年もやって来る
が、私には、もう母はいない
そして私は一生“母”になることはない――
1日1回、応援のクリックお願いします
日々の励みになります
両方押していただけると嬉しいです
↓ ↓
人気ブログランキング にほんブログ村
★しこり発見から治療までの経緯は⇒こちら
★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から
Source: りかこの乳がん体験記
コメント