治療の倫理と治療家の精神性
私の知り合いの男性(93)が
老人介護施設に入居しています。
今週、
その施設内で食事中に突然誤嚥してしまい、
誤嚥性肺炎となってしまいました。
ちょうどその時に
介護施設の入居者定期健診で
病院から医師が往診に来ていました。
若い30代の医師だったそうです。
93歳になる老人が誤嚥で苦しむ中、
付き添いの妻が
その医師に緊急事態を告げて
診てくれるようお願いしました。
すると
その若い医師は
「あらかじめ予約してないから診察しません。」
と言ったのです。
誤嚥で苦しむ後期高齢の老人を目の前にして
緊急事態にもかかわらず
予約してないことを理由に
その医師は
診察拒否したのです。
最終的には
必死に頼み続けた結果
しぶしぶと診てもらったそうですが、
その医師は
人を治すために医師になったのではない
と周りにいた誰もが感じる出来事となりました。
医師法19条には
「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」
と明確に規定されているのは医師であれば常識となっています。
では
どうして
そうのように診察拒否になったのでしょう。
現在の医師の倫理は
どうなっているのでしょう。
未開の地にいる
治療家でもあるシャーマンたちが、
かつて
外部からやってくる民俗学者たちにしていた質問があります。
治療家を育てる時に、
どのように霊性を高め、
地球や宇宙、大霊と調和するために
どのように教えるプログラムがあるのか?」
民俗学者たちは、
治療技術や理論を教えるが、
霊性を高める研修や倫理観を教えるプログラムは無い」
シャーマンたちは
必ず驚くのです。
治療する人間として
最も重要なことは、
「霊性と倫理観を高めるためにできるだけの時間を費やすこと」
人間としての質、つまり霊性を高める時間を作ること。
霊性を高める努力をする必要なく、
治療を行っても誰も問題にすることはありません。
も暗唱する程度の形骸化したものとなっています。
世界医師会では、
ヒポクラテスの誓いを現代的な言葉で表したジュネーブ宣言(1948年)があります。
とあります。
日本でも
古くから「医は仁術」とされ、
緒方洪庵の「扶氏醫戒之略」、貝原益軒の「醫箴」、杉田玄白の「形影夜話」などに
医師の心構え、在り方がしっかりと記載されています。
現代では
日本医師会では
医師の倫理の向上のため
2000年に「医の倫理綱領」を刷新し、
さらに
2004年には「医師の職業倫理指針」を作成しています。
2006年になってから
医師会会員たちには
小冊子「医の倫理 ミニ辞典」なども配布し
同時に
ウェイブサイトでの啓蒙活動も行っています。
2013年に制定された日本医師会綱領では
「医師としての高い倫理観」を第一に言及しています。
研修義務などは無く
実質上
形骸化されているのが現状です。
医師一人一人が
人間性を高める特別な研修を受けるわけではありません。
医師会が提言しているように
医師各自が問題意識を持って、
自覚をもって行動することが重要ですが、
ほとんどの場合
ないがしろにされていると思います。
日々自分に厳しい規律を課して、
霊性を高めることに専念します。
力は衰えてしまいます。
他人を悪く思ったり、
悪口を言うと、
硬化していき、
次第に使えなくなっていきます。
愛と知性を持って人に接すると、
高次元の能力は強まります。
人間としての質、霊性を高めること
第一に、謙虚であること第二に、愛にあふれていること第三に、高い霊性を持っていること
これは、
そのまま現代の医療従事者にも当てはめるべきことです。
現代では、
治療内容によっては
技術や知識が優先されることは当然ですが、
それに高い霊性が加われば、理想的です。
医療従事者たちは
目に見えない「命」や「魂」、「心」、「人としての尊厳」といった
最も大切なものを守るために治療しているのに
目に見えない部分の教育は
何も行われていないのです。
お金持ちになれる、
いい車を買ったり、
綺麗なお洋服を着て、
他の人より贅沢できる、
といった動機で勉強に励みます。
人間の霊性を高める教育なんて、ありません。
「人はパンのためのみに生きているのではない。」
と語った通り、
石ころを宝石と勘違いさせて獲得競争させているようなもの
です。
いずれ確実に治療に歪が生じてきます。
知識の暗記を競争させるよりも、
子供たちの心を正しい方向に向かわせることを優先する、
それが
人々を幸せに導く社会への近道なのではないでしょうか。
これからは
目に見えない大切なものを理解して
このブログでは以前から書いていますが、
この宇宙は
すべて
「天の理(ことわり)」で動いています。
その一部に、
物質世界にだけ独特な地の理(ことわり)があります。
地の理では、
何かを二つに分けると半分になります。
百つに分けると、百分の一になります。
でも
その背後にある天の理では
天の理にかなったものを、
二つに分けると二倍になり
百つにわけると百倍になります。
地の理では
他者のために何かをするときに
自分だけが物質的に貧しくなってしまうこともあります。
天の理では
他者のために何かをすると
自分も他者も一緒に豊かになります。
地上にいるときには
この法則は
同時に働いています。
でも
ほとんどの人は
表層部分の「地の理」しか見ていない。
私たちは
「天の理」をすっかり忘れて
「地の理」をすべてだと勘違いして
物質優先の世界観を作ってきました。
医療現場での倫理は
そのまま
私たちすべての人の倫理でもあります。
もう一度
天の理を思い出し
物質を超えた目に見えない世界を敬い、
それに沿った思い、言葉、行いを基調とすべき時期にきています。
追伸
以前
この記事の内容はコミュニティ違反だということで
SNSではシェアできなくなりました。
どこが問題なのかを審査してもらい
再び投稿可能になりました。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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