時 機 ~すべてに意味があるとしたら――~

あってはならない“がんの見落とし”――

私の乳がんは、“見落とし”からはじまった

  あのときがんを見抜いてくれていたら...

  あのとき、
  しっかり検査してくれていたら...

  あのとき、
  大きな病院を紹介してくれていたら...

  せめて、あのとき、

  「1年に1度、検査をしていきましょう」

  そう言ってくれていたら...

それは、後悔してもしきれない悔い

過去に戻ることもできなければ、
進んだ病期を戻すこともできない――

そして、そんな思いを抱いている人たちが
少なくないことにも驚かされる

その中で耳にすることが多いのが、

「定期的に検診を受けていたのにもかかわらず、
 発見が遅れた」

というものだ

“定期的に検査を受けている”ということは、
“早期発見・早期治療を心がけている”ということ

がんは、

「早期にみつけて、
 早期に適切な治療を受けることが大切」

...だと言われている

できれば受けたくもない検査を1年に1度自ら受け、
何事もないことを確認する

なのに、

医師の手によって...、
読影者の技量によって...

時には、大きな病院の、
“診療科の連携不足”という失態によって、

“見落とし”という現実に陥る

その間、確実にがんは進行するわけだ

後悔は、自らの選択が誤ったときだけでいい

それが、他人によって引き起こされるのなら、
後悔してもしきれない

残るのは、憤り――

私もそれは同じだった

「あのときがんを見つけてくれていたら、
 私は治療を終えて、
 子どもを産むことができたかもしれない」

   まだ未婚であったが...

「あのときがんを見抜いてくれていたら、
 私はもっともっと生きられた」

   当時の私の余命は、素人判断では2年だった

ずっとそんな思いを抱いていた

最近思うのは、

『すべてに意味があるとしたら、
 これが私の“時機”だったのかもしれない』

もちろんそれは、
ここまで生きてこられたから思えること

きれいごとでもあるのかもしれない

短くなったかもしれない命、
途絶えた夢や希望を思えば、
そんなことは思えないのが本音だろう

が、ピンクリボン活動をはじめ、
執筆、体験記の書籍化、そしてこのブログ...

“今”だからこそ
得られたものが確実にあるようにも思う

“そんな私にしかできないこと”
“そんな思いをした私だから伝えられること”が
きっとあるはず

それもまた
“きれいごと”と言われてしまえばそれまでだ

が、そう思うことで
新たな希望も見いだせる気がするのだ

がんになって、たくさんのことを諦めた

が、得たもの多い

がんになったからこそ手に入れた宝もの

そして、見落とされたからこそある“今”

もちろん、がんは、
『早期発見・早期治療が大切』だということは、
言わずもがなであるが――

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Source: りかこの乳がん体験記

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