緩和ケア病棟への思い。

きっと、病院にお世話にならないひとはいない

私は生まれたとき

そしていくつかの病気...

これまで何度お世話になったかわからない

これからもたくさんお世話になるだろう

きっと、最期も――

昔、“ホスピス”にいいイメージを持っていなかった

たぶん、

「あそこに入ったら、もう“終わり”だよ」

と、大人たちに聞かされていたからだ

が、自分が乳がんになって、

『緩和ケアは、
 “がん”と診断を受けた瞬間から関係するもの』

...であることを知り、

『緩和ケア病棟が、
 昔聞いていたそれとは違うこと』を知ったのだ

母が2度、入院した緩和ケア病棟

1度目の入院は、少し明るいものだった

病室も4人部屋

昔抱いていた“ホスピス”とはかけ離れていた

が、2度目の入院

これは、即ち、“死”を意味していた

用意された個室は、
4人部屋のような電灯の明るさはない

壁は白く、なんの飾り気もない部屋...

「家にあるもの、なんでもいいです。
 絵でも、写真でも、
 好きなように飾ってください。
 自分の家のように使ってください」

看護師さんにそう言われたとき、
病室が質素な言意味がわかった

そして、

「食べたいものは
 なんでも食べさせてあげてください。

 面会は、
 面会時間外でもいつでもできます。
 病室に泊まることもできます。

 会わせたい人がいたら、
 今のうちに連絡を...」

その言葉を聞いたときには、

「本当に最期を迎えるんだ...」

と、思った

それはあまりにも哀しく、
つらい現実だった

が、そこまで寄り添ってくれる医療

そして、最期を迎える患者の、
生活、人生、家族...

すべてを受け入れてくれることに驚いた

母が眠っている棺を病院から搬出するとき、

「お母さんは病院にはいないけど、
 いつでも来てください。
 なにか話したくなったら、
 いつでもいらしてください。
 抱え込まないでください」

そう言葉をかけてくれた師長さんの優しさが
また沁みた...

ここまで“ケア”してくれる医療

そういえば、
母が緩和ケア病棟に入院したとき、
家族のことも聞かれた

「どうしてそんなことまで聞くんだろう」

と、思った

ある意味、“個人的なこと”でもある

が、患者のことを知るためには、
大切な、必要なことだったのだろう

そして、
家族もひっくるめての
“緩和ケア”という医療だったのだ

緩和ケア病棟は病院の最上階

廊下の一角から見下ろした街並みが、
今でも忘れられない―― 

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Source: りかこの乳がん体験記

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