21日からの鑑定に先立ち、本日、京都入りいたしました。
道中、以前から是非、鎮魂の祈りをさせていただきたいと思っておりました、岐阜県は不破郡の関ケ原古戦場に立ち寄りました。
慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国の当地にて、“天下分け目の戦い”と称され、石田三成率いる“西軍”と、のち200年続く江戸幕府の礎を築き上げた徳川家康率いる“東軍”との決戦が繰り広げられました。
今では町の随所に、かつての関ケ原の戦(いくさ)を伝える看板や、あるいは戦国武将の家紋を記した幟(のぼり)が立っていますので、いよいよ気分は盛り上がります。
そして周囲を山々に囲まれ、ちょうど盆地のような地形は、両軍の激戦を自ずと思わせるのではないでしょうか。
ただ、“関ケ原の合戦”と一言で言っても、実際には大小様々な戦が勃発したようで、思いの外古戦場は多く、それらの一つひとつへ祈りに赴くには、一日ではとても巡れそうにありません。
迷いに迷って、結局は、東軍の大将、徳川家康が最後に構えた陣地にて祈りを捧げることにいたしました。
祈りの際には、かつての戦乱の時代にまで遡(さかのぼ)り、ちょうどタイムスリップするように、自らの意識を合わせてまいるのですが、はたしてどの場面(状況)の御霊が応答してくださるのかは、実際にはその瞬間まで判りません。
むしろ、今の時代に生きるわたくしたちに、もっとも必要な御霊こそが御言葉をかけてくださると信じ、静かに祈ります。
すると、わたくしの目前に現れてくださったのは、東軍の、いわば勝利を得た側の武将の御霊でした。
ですが、軍配が上がった東軍の武将とは思えないほど、実にもの悲しく鎮痛な様子で、静かに御話しをされました。
この御言葉を拝聴するにつれて、単に勝ち負けでは到底割り切れない、当時の武将たちの複雑な想いが幾重にも交錯している様子が伝わり、胸が絞めつけられる想いでした。
次回は、この東軍の戦国武将の御言葉をお伝えいたします。
わたくしたちの今この時代にも通じる、深いメッセージです。
どうぞお楽しみになさってくださいませ。
Rinokia
(次回② へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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