(前回③ からの続きです。)
(日本における)諸国が足並みを揃え、そして、分立統治していることでの弊害を取り除かねば、この国の発展はありませぬ。
国全体としてより子々孫々と繁栄していくがための、大きな“転換” ーーー
しかしながら・・・(少し苦笑されました。)これには、相当な“痛み”を伴いますな。
“国を創る”ーーー
これはなにも、新たに創り成すばかりとは限りませぬ。
ときに既存(の体制)は、一同に(=一気に)崩さねばならぬのです。
以後も存続し、さらなる進展(隆盛)を得る側、そして、これらを“成すがための”、完膚なきまでに滅びゆく側 ーーー
当時は、生き馬の目を抜くがごとくの“戦乱の世”です。
戦うことは、われらが命(めい=宿命・使命)。こうして、国造りを勝敗に依拠することは、(現代の)あなたがたの目には、まるで愚弄(ぐろう)と映りますか?
戦に勝者あるならば、必ずや敗者が要(い)る ーーー至極(当然)の理(ことわり=道理)です。
俗にいうところの“負け戦(まけいくさ)”さえ、とうに(=すでに)覚悟し、その責(重責)を負い、戦に挑みし者たちの生きざまは、一体誰が咎(とが)めることができましょうや?
次なる世を創らんがため、もはや勝者敗者という括(くく)りを超えたところでの(両者の)“結束”が、此度(こたび)の戦(=関ケ原の合戦)でありましょう。
(力なくお話しを続けられました。)
・・・ついには勝どきをあげたわれらもまた、実に多くの家臣を失いました。
かつて幾多の激闘にも命を長(なが)らえ、共に盃(さかずき)を酌み交わした猛者(もさ)たちが、此度にては悉(ことごと)く露と消えたのです。
たとえ(軍として)勝てども、自らが生きて戻れるとは限らない。
いずれも真剣を交え、死に隣(りん)する状況など、あなたがたにはもはや想像を絶する物事でありましょうが、これがわれらにとりての、“国を創る”ということです。
(再び遠くに視線を向けました。)
あなた様(Rinokia)が今まさにご覧になる光景が、関ケ原の真実の様(様相)です。
実際には敵も味方もありませぬ。誰が勝者で誰が敗者であるかなど、この光景を見ればまるで無意味であることがお分かりになるでしょう。
われらが軍(東軍)が掲げし勝利の御旗(みはた)を取り巻いたのは、唯一、見渡す限りのこれらの夥(おびただ)しい屍(しかばね)でした。
(Rinokiaが尋ねました:あなた様もこの関ケ原で命を遂げたのですか?)
いいえ、わたくしは戦ののち、国(=自分の所轄地)へ戻りました。
国には幾重の難事が累積していたため、同朋(※ともに戦った家臣たちのことです。)の死を悼むことなく、踵(きびす)を返すごとくにすぐさま(国へ)戻らねばなりませんでした。
ただ・・・
(次回⑤ へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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