(前回④ からの続きです。)
ただ・・・わたくしの魂(※ここでは“心”という意味です。)は、もはやあの日(=決戦日)に、この地(=関ケ原)へ置いてまいりました。
(筆者注:関ケ原に強く念を残しているため、こうして霊魂として現れやすいのだそうです。)
生きるも死ぬも共にあれと、固く契り交わしたわれらが死した朋友を後目(しりめ)に、以後一体どのように生きろと申すのでしょう?
それからというもの、わたくしは国の役(=所轄地での役目)を果たしつつも、すでに一人の身ではなくなりました。
幾千幾万という御霊を弔(とむら)い、共に悼む日々を送り、ついにはわが命(寿命)をまっとうしたのです。
・・・これが、この国(=日本全体)を巻き込み、当代きっての大合戦と称される戦に、稀にも命を長らえし者の果ての姿です。
(少し間を置きました。)
あぁ、わたくしは、ちと(=少々)あなた様に話し過ぎたようです。
言いたくても言えぬ(=話したくても話せない)、これら幾万の御霊の哀しみはいまだ癒(い)えませぬ。
この数百年もの間、わたくしもまたその想いを胸に秘め、(寿命をまっとうし)肉体を離れしのちもなお、これらの御霊を静かに弔(とむら)ってまいりました。
真実を知る者は、まさにその場に臨(のぞ)みし者しか、けしてわかり得ないのです。
あれから幾度も歳月を重ね、四季が順に巡りくるなかで、時代はとうに(=すでに)変わりました。
わたくしが背負い続けたこれら幾多の御霊の想いは、もはやわたくしには有り余るほどの“重み”です。
ですから、あなた様のこの地(関ケ原)に降り立つという報(しら)せに、わたくしはいつになく急(せ)いて馳せ参じ(※元は別の場にいたそうです)、こうしてとめどなくも、在(あ)りし日と、そしてわが身(の状況)を吐露したのです。
この、幾百年もの行き場の無き苦しみをお分かりいただき、わが身の勝手をどうかお赦(ゆる)しいただきたい。
あなたがたが生きる、まさに(われらにとりては)新しき御代(みよ:時代)が現に在るならば、それはまぎれもなく、われらが生(せい)も、そして死すらも、そのすべてが次へと生かされた“証(あかし)”でありましょう。
(※この方は弓矢の名士だったのか、にわかに弓を構え、力強く矢を放ちました。)
勝敗という、誠に小さき範疇(はんちゅう)を超え、われらが共に目指したこの国(日本)の大きな“変革”は、時代を大きく先駆け、そして明くる行く末(=未来)へのあなたがたの良き“導き”となれば、これ以上のわれら志士への弔(とむら)いはありませぬ。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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