2通の手紙。

その他

「そういえば、母から送られてきた手紙、
 まだ捨てていなかったはず...」――

それは10年前

私が両親に家を追い出されてから
7か月後のことだった

乳がん体験記を自費出版し、
それを読んだ母が感情露わに書きなぐって
送りつけてきた手紙だ

書籍の中にはほんの数行、
私と家族...

殊に母との関係を綴っている

その過去を避けては通れなかったからだ

が、それを読んだ母は激高し、
落ち込んで何も手につかなくなったらしい

「お前だけいい子になるな。
 うちがこんな家庭だと周りに思われるだろ」

...という内容だった

  いや、中身はもっと手厳しいものだった

私はその手紙を読んで腹立たしかった

なぜなら、
周囲への体裁ばかり気にしていたからだ

幼い頃から私に手を上げてきたことも、
言葉で傷つけてきたことも、
そこには謝りの気持ちは微塵もない

自分のことだけだった

家庭のことを書くのは私も悩んだ

『乳がん体験記』という1冊の中のほんの数行

それでも、こんな地方

それを公にすることに、
私も抵抗がなかったわけではない

が、それをぶち破ったのが、
乳がん治療でつらい副作用に耐えている中での、

「出ていけ!!」

という両親の言葉だった

別に、“いい子”になろうとも思わない

本に書くことで、
私自身もそんな目で見られる

それを覚悟してのものだった

そんな思い出したくもない過去

その母はもういないが、
このもつれあった糸は、
永遠にほどけないままだろう

そして、
手紙をしまっているであろう引き出しを探ってみた

出てきたのは、白い封筒

宛名には、見慣れた文字――

「母の字だ」

が、あの激高した手紙が送られてきたのは、
確か茶封筒

「なんだろう」

と、開けてみた

そこには、

  再発したこと(肺転移)

  他都市で治療を受けたが、
  効果がなかったこと
  (たぶん、RI治療だと思われる)

  甲状腺がんに使える、
  新薬の抗がん剤(内服薬)を試したが、
  副作用が強かったこと

  それでも
  「絶対に治してやる!!」と飲み続けたが、
  足の裏の湿疹がひどく、
  歩けないほど腫れあがり、薬をやめたこと

  医師からは、
  「もう延命治療はしません」と言われ、
  母もそれに同意をしたこと

  治療がないことに大きな衝撃を受け、
  涙が止まらなかったこと

などが、綴られていた

封筒には日付けが書かれてあり、
今から6年前...

母が亡くなる3か月のものだった

手紙の最後には、

  みんなで食事会をしたいので、
  りかさえよければ、
  場所をセッティングしてもらえませんか?――

涙が止まらなくなった

そういえば、母が亡くなる1か月ほど前、
お世話になった方々と食事会を開いた

いつどうなるかわからないから...と、
早めにホテルに予約を入れたっけ...

2021/08/05 母からの手紙 ②

そんな涙が乾かないうちに、
あの“問題の茶封筒”が奥から出てきた

2021/08/05 母からの手紙 ①

「母の本音はどこにあるのだろう...」

と、今でも考える

結局、ヒトは“死”に弱い

死と直面すると、
許せないものも許せるようになるのだろうか

私は今でも、
母に対する自分のココロがわからない

2021/08/05 母からの手紙 ③

  今頃のなって、ふと思い出した、
  あのおぞましい“母からの手紙”

  結局、茶封筒の中身を開け、
  読みたくもない手紙に目を通す羽目になり...

  まぁ、
  もう1通の白い封筒に気づけたからいいか

  とりあえずこの2通は、
  捨てずにとっておこう

  “形見”というには
  あまりにも辛辣な品ではあるが――

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Source: りかこの乳がん体験記

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