神の詩 第三章第七節 1

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神の詩 第三章第七節

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「しかし、アルジュナよ、心で感覚を抑え、執着なく、行動器官で行動の道(カルマ・ヨーガ)を実践しようとする者は優れている。(七)」

追いついてこれない人が多いので
あと少ししたら
休憩しましょう。

ほとんどすべての人は、
生まれてまもなく言葉を覚え、
社会生活をおくるうちに
頭の中は常に何かを考えていく状態になっていきます。

すべての人が、
あらゆるものを言葉で定義してしまいます。

頭の中が思考の言葉でいっぱいになることが習慣化して、
言葉の奴隷になっていきます。

思考も言葉で作られたものですから。

見るもの聞くものすべてに対して、
自分の知識と経験というフィルターをかけた状態にしてから、
判断していくようになります。

次第に
そのフィルターに
偏見や先入観、固定観念が加わり、
ますます
フィルター効果が強まり、
物事をありのままの姿で観る
ということをいつの間にか忘れてしまいます。

こうなると、
日常生活の中でも、
休暇中に海辺でリラックスしている時でさえも、
頭の中ではいつも何かのことを考え、
妄想は発展し、
心が彷徨い続けてしまいます。

そして
ほとんどの人は
言葉の奴隷
になりながら、
言葉を超えたところにあるものを探求しようとしています。

それは、
鳥かごから出ないまま、
空を飛ぼうとする鳥のようなものです。

大空を見たことがない鳥が、
かごからでるのを怖がるように、
人は未知のものに恐怖心を持つと、
言葉や理論に囚われて安心しようとしてしまうのです。

このように、
ほとんどの人は、
先入観や偏見や知識、経験というフィルターを使って物事を見ている
という事実に
目を向けるべきです。

それは
青空や星空を見るのに、
知識や経験という厚い雲を通して空を見ているようなものです。

知識や偏見を通して物事を見ることは
過去に意識を置いていることになります。

「今」
この瞬間を生きるには、
純粋な感覚でなければなりません。

子供の頃は、
何を見ても、
何をしても、
世界が輝いてみえたはずです。

それが
大人になると輝きが色あせてくる。

そして、
表面的な喜びに代わってしまう。

それは
人生の中で、
多くの知識や経験、概念を
身に着けてしまったからです。

言葉の世界という表層意識の中に
とらわれてしまったからです。

言葉を超えた静寂の中に、
純粋な感覚があります。

純粋な感覚でいるときには、
いつもとは違う
精妙なエネルギーが
内側から湧いてくるのを感じることができます。

続きます。

hgft

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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