大分 宇佐神宮②下宮:二之御殿【朽(く)ちた先の大きな開花】

その他

下宮 二之御殿(比売大神(ひめおおかみ))では、直前の一之御殿の御言葉を引き継ぐように、愛深いメッセージをいただきました。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「人生は、まるで留(とど)まることを知りません。

にわかに上昇したかと思えば、次の瞬間には、まるで予想だにしないほどの下降を辿ることもあるでしょう。

何らかの下降を見たとき、人は心(=気持ち)まで下がります。

この下がる心に乗じ、なぜか、自分の存在さえ落ちぶれたような錯覚さえ抱いてしまうーーー 目前の現象と、また己との間にはまた様々な因果関係があるのも忘れて。

この、自分がまるで落ちぶれたように感じることは、実に厄介です。なぜなら、(落ちぶれた)その“先”を見い出すことが難しくなるゆえです。

人は、物事の“原因”を何かしらに求めようといたします。

周囲に(原因を)求めることもあるでしょう。さらには、人は、心が下がるときには往々にして、自分の存在に(困難の出来事の)原因を求めます。

どこまでも、人という生命は、内実、自分を本当の意味で労(いた)わることが不得手(=苦手)のようですね。

自分が落ちぶれたと感じることを必ずや回避せよ、と言うのではありません。時として心身滅入る際には、そのように感じてしまうときもある。

しかしながら、大事なのは、“その先”を見い出すことでしょう。

人の歩みは、いつかの天よりの招へい(=昇天)の時まで、けして留まることはありません。

それであるなら、こう考えてはいかがでしょう?

自然に見る存在(※樹木、花など)は、いつしか朽(く)ちゆきます(=枯れていきます)。

ですがけして、ここで終わり、ではない。

すでに次なる“再生”のための、ほんの僅かなひととき、朽ちる姿を示しているのです。

根底に息づくは、次なる芽吹き(あるいは開花)。

ですから、“朽ちゆく”という姿は、意気をいよいよその身に満たす、欠かせぬ過程でもありましょう。

自分の心が落ち込む際には、むしろ腰を据えて、じっくりとその時期を過ごしなさい。

次なる“開花”のために気を満たし、身を整え、これまでよりも溌溂(はつらつ)たる姿を示すことができる喜びを、胸いっぱいに描くのです。

“人生どう転ぶか”などと不安がることはありません。

次に花開くそのはなびらが、どのような美しき色、形となるか、それこそ(同じ種類でも)千差万別であり、ゆえにこの世は、実に彩り豊かな世界となるーーー

人間もまた、同様です。

落ち込む姿の先の、その光輝く姿は、これまでよりも一層美しい。

ゆえに、われら(神々)こそは、この社(やしろ)に見せる、人の様々な辛苦の姿さえもなお愛しく、続く(開花の)未来に大いに胸を高鳴らせるのです。」

(次回は③下宮:三之御殿 です。)

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Source: 神々からのメッセージ

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