浄土真宗の慈光寺からさらに南下すること徒歩5分程で「青山熊野神社」に辿り着きます。
当社は、植林・樹林の神として、特に建築関係に従事される方が信奉する神社だそうです。
ですから、御祭神も、林業の神として崇められる“五十猛ノ命(いだけるのみこと)”です(※父神はスサノオノミコト)。
その他、兄弟神の“大屋津姫ノ命(おおやつひめのみこと)” “抓津姫ノ命(つまつひめのみこと)”と、さらには、祖母神にあたる“伊弉冊ノ命(いざなみのみこと)=スサノオノミコトの母”も祀られていますから非常に興味深いです。
境内は樹木が適宜配置され、綺麗に手入れされております。そして落ち着いた色合いの朱塗りが美しい社殿で、都会の喧騒をしばし忘れさせてくれます。
本日は、本殿にての神の御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「地上に現わされるものはすべて、ただのひとときも留まることを知らない(=留まらない)。
人間もまた然(しか)り。
時代の流れのなかで、人の様(=様子・行動)が、刻々と変わりゆくこともまた一理あるだろう(=一応の理屈があるだろう)。
しかれども、安易に不安に駆られた気もそぞろなる姿、あるいは闇雲に動く(=言葉と行動をとる)その姿は、今や移ろい激しき時世にあってなお(一層)混乱を呼び起こす“元凶”となる。
変わりゆけども、あるいは動きはすれども、内実わが身に“御柱(みはしら=芯・中心・中核)”を立てる。これがいかに欠かせぬものであるかを、民らには何より心得てもらいたい。
日常(=日々の生活)における、たとえ愚直とされようともひたすらに続ける物事(行為)、そして、変わらず突き通す(やり通す)のまさに専心たる姿、ここにこそ、真の御柱は天より降ろされるだろう。
自然の息吹は、まるで奇跡のごとく、生命の伸びやかな姿を地上に見せる。
それでも、なおその歩み(=成長)は、じっくり、またじっくりと少しずつ伸長していくのである。
人間もまた、然り。
今世授かる、人生という歩みのなかで、ゆっくりと芽吹き、やがては開花し、そして円熟を得る様(様相)は、なんと美しき姿であろうか。
天へと向けて迷わず芽吹き、そしていつしかそなたこその彩り溢れる花と結実、この姿を、いつでもわが内(=自分自身)に見い出し、朗らかにその身を育ててまいられよ。」
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Source: 神々からのメッセージ
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