茨城県 鹿島神宮②本殿【“力を得ること”の極意】

その他

神社仏閣には、大小様々な授与所(=御札や御守りなどの授与品を頒布する建物)がございますが、鹿島神宮の授与所は楼門入ってすぐ脇の建物内に設けられ、そこでは数多くの授与品を拝見することができます。

この形式ですと、あえて建物内に入ることは必要ですが、風雨に(さら)されずゆっくり拝見できるのが良いなと感じます。

平成31年からの改修工事でとても綺麗になり、お気に入りの御札や御守りをじっくりと見つけることもできますので、是非皆様も、機会がありましたら行かれてみてください。

本殿の御祭神武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)”は、勝利の神としても古くより信仰篤い神とされておりますが、わたくし自身、この神宮にお参りされる方々は、老若男女、一体どのようなことを祈っていらっしゃるのだろうかといつも興味が沸きます。

今回は、その“勝利”にちなんで何か御言葉をと祈った際に、鹿島大神よりいただきました御言葉をお伝えさせていただきます。

Rinokia

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「“力”について、わが宮(=鹿島神宮)では、その神徳を希(こいねが)う者が実に多い。

武道などの力をはじめとした勝負ごとを決する術(すべ)、精神の逞(たくま)しさ、人生・事業の成功、あるいは強運など、“力”は人がより良く進みゆき、求める物事(目的・目標)を達するには、何よりも欠かせぬものでもある。

いずれにしても、(物理的・精神的な)力を得て、それらを増すことを、人類は長らく追い求めている。

此度(こたび)は、 “力”について、その真義(しんぎ=本当の意義)を今一度伝えよう。

“力”を思うように得られない者、その一方で真に得る者との違い、それは、腕力、権力等の、力を他(相手・周囲)へ及ぼす(強いる)ための一過性の勢いを得ようとするか否かである。

肝要なるは、“力”のその元(=根源)を、自らがいかに継続的(安定的)に“受容するか”。

力の根源は、目には見えぬ息吹(=エネルギー)であり、この世を成すがため(=構成するため)に、天より降ろされる(配される)ものでもある。

それらを、己に限りなく純粋に受容する(=取り込める)ことが、人生をより進ませゆく(人生を成功へと導く)力を得ることなのだ。

それならば、何か他を圧倒するべく息巻くのではなく、むしろ、いよいよ柔和に、純粋たる姿となることが(力強さの)第一義となる。

力とは、自らによって成す(獲得する)のではない。

良き機(=タイミング)、良き場(状況)にて、天やこの世を形成する万霊より降ろされるその“光”こそを、真っ直ぐに、そしてひたすら純粋なるままに、己の身に入れ(取り込れ)、まるで“一体となる”ことなのである。

天へも、自らの誠心を素直に示し、そして地上(=この世)へも、感謝の念にて純真に生きることを念じ、柔和に、素朴に生きること ーーー

他を寄せ付けぬ姿、(悪い意味での)強欲に埋もれる生き方は、これら、すでに配されし幾多の“力”を、なんと頑なに拒み続ける姿であろうか。

“天(=神)も、地(=地球)も、すでにわが内にあり”ーーー 世界とは、すべて協和のままに進みゆく社(やしろ=聖域)であることを会得(えとく)する者こそ、真の強者(つわもの)なり。」

(次回は③奥宮 に続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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