茨城県 鹿島神宮の奥宮の参拝を終え、さらにもう少し歩いた先に祀られる“要石(かなめいし)”、そして急な坂を下ったところの“御手洗池(みたらしいけ)”などを順に巡り、さて本殿へと戻ろうかと思った矢先、鹿島の大神より御言葉をかけられました。
本殿にて祈った際に賜った御言葉に続く形で改めていただいたものです。
どうぞご一読いただけますと幸いです。
Rinokia
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「(人の)あるべき姿として、何事にも挫(くじ)けぬよう、精神的にもまた肉体的にも強くなることを人は求める。
“屈強(くっきょう)”は美徳であり、時として憧憬(しょうけい=あこがれ)ともなる。
ゆえに、何かに勝(まさ)ること、鍛(きた)え上げることが、いずれの形であれ追い求める先(=目標)として掲げられるのではないだろうか。
しかるに、そなた(Rinokia)に先頃伝えし“力”は、今や時代とともに変化を遂げている。
武芸に励む者のみならず、民らは、各々に置かれし場(状況)のさなかに、たずさえるべき力の性質をつぶさに得(理解し)、日々を過ごすことが欠かせぬものとなっている。
人は、その場当たり(その場限り)の、文字通り、“力任せ”では到底立ちゆかぬ。
世(社会)と、そして周囲の機微(=かすかなしるし)を把握し、拮抗(きっこう)することなく、あたかも周囲の気(エネルギー・流れ)さえもわが身に流用(連動)させるがごとく、いよいよ滑(なめ)らかに生きることに長ずる(=長ける)者、現れり。
“水”の流れるがごとくに滑(なめ)らかに進みゆく(物事を進める)、その感覚を、いかなるときも核心(=中核)に据(す)える、これこそが新しき“生きる力”でもある。
けしてひ弱(よわ)になったのではない、内実は、何事でも“生き抜く”、その粘(ねば)り腰にての進みを、何人(なんぴと)も得ることこそ肝要ぞ。
世を見渡しては悲嘆し、あるいは人の粗相(=あやまち)を論(あげつら)うがための、この世(=現象界)ではない。
他(他人)の生き方、自然の理(ことわり)、そして、すべてのものが、同じくこの地上に各々の存在を表し、共存するその様(様相・仕組み)に、己の生き抜く術(すべ)、契機(=きっかけ)を見い出し、わが糧、血肉とする、そのしなやかなる生き方を極める新しき時代となるだろう。」
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Source: 神々からのメッセージ
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