【ウクライナ】1994年から続く流れ

ウクライナのドミトロ・クレバ外相は「1994年の核放棄決定は、賢明な判断ではなかった」として、米国に対し「当時約束していた安全保障を履行せよ」と求めた。

クレバ外相は22日(現地時間)米フォックス放送に出演し「当時ウクライナが、核放棄の決定をしたのは失敗だったのか」という質問に、先のように答えた。

クレバ外相は「過去を振り返りたくはない。過去に戻ることはできない」と即答を避けた。

しかしその後「当時もし米国が、ロシアとともにウクライナの核兵器を奪わなかったら、より賢明な決定を下すことができただろう」と語った。

1991年ソ連解体により独立した後、核兵器を保有していたウクライナは「核兵器を放棄しないこともあり得た」ということである。「

クレバ外相は同日、CNNでも「1994年、ウクライナの “核放棄”のかわりに、米国が交わした安全保障の約束を守らなければならない」と求めた。

クレバ外相は「1994年ウクライナは、世界3位規模の核兵器を放棄した。我々は特に米国が提示した安全保障を代価として、核兵器を放棄したのだ」と主張した。

つづけて「当時我々は『誰かが我々を攻撃したら、米国が我々を助ける国の一つになる』という約束を交わした」と訴えた。

米国とヨーロッパが掲げた対ロシア制裁に関しても「ロシアの土足がウクライナの地から撤収されるまでは、どのような制裁も十分ではない」として、より強力な制裁を要求した。

ウクライナは1994年12月7日、米国・英国・ロシアなどと「ブダペスト覚書」を締結し、当時世界3位規模であった核兵器を放棄するかわりに、領土の安全性と独立的主権が保障されることになった。

ウクライナは1800余基の核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を全てロシアに返還・廃棄し、1996年6月には全ての核兵器をロシアに渡し、非核化を完了した。

この文書は国連安保理が履行を保証した国際的合意だが、28年経った現在、実際には効力が発揮できていないことになる。

まぁ、、1800発の核ミサイルがウクライナにはあった。

ウクライナ国内には当時、短距離戦術兵器や空中発射巡航ミサイルを含む約1800の核兵器が存在していた。米国は核保有国数と、核兵器の数を減らしたいと考えており、当時は米国に対する信頼感がピークに達していた。

そしてウクライナの核は、、

欧米からしてもロシアからしても「厄介なモノ」だったんです。

ウクライナと、ロシアの首都モスクワは近い。

核ミサイルの届く範囲です。

そういう意味で、、、

ウクライナに核を放棄させてから併合するのは、、、

1994年から始まっていた計画と見るべきですね。
今回の侵攻は、、

ロシアの利益ではなく、、

プーチン個人の利益の為に行われた行動で、、、

それ故に、合理的な説明が出来ない「流れ」が生じている。
で、、

共産党の志位とか、、

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んなバカなことを平然と言いますけど、、

プーチンとかキンペーのようなリーダーは、、

簡単に憲法を変えるんです。

憲法9条なんぞあっても、、

廃棄して新しい法で自分を正当化する。

自分と党に都合の良い憲法にしていくだけです。

それが独裁主義だし全体主義だし共産主義で社会主義なんです。

それらの政治思想の「党」の下に憲法があるんですよ。

それをわざとスルーして嘘を言っている共産党。

つまり志位は詐欺師です。

取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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