神の詩 第五章第三節 3
写真は雪解け進む今週の白馬から
不帰ノ嶮(かえらずのけん)
「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は容易に束縛から解放される。(三)」
続きです。
過去を思いわずらい、
未来を憂う思考は、
空に浮かぶ雲のようなものです。
未来を憂う思考は、
空に浮かぶ雲のようなものです。
発生しては流れながら形を変えていき、
やがて
消えていきます。
多くの思考が重なっていくと、
それらの雲が
本当の空を覆い尽くし、
あたかも
雲が空の実体であるかのような錯覚を生み出します。
それらの雲が
本当の空を覆い尽くし、
あたかも
雲が空の実体であるかのような錯覚を生み出します。
そして、
その架空の実体に
意識が繋がっているかのように思ってしまうのです。
このような
真実でないものを真実のものとして
意識と繋がっているという錯覚が、
束縛を生み出します。
真実でないものを真実のものとして
意識と繋がっているという錯覚が、
束縛を生み出します。
憎しみも望みもない者、
相対を離れた者とは、
過去や未来と言った
実体ではないものに囚われない者であり、
大空から雲をすべて取り払った状態
となった人のことです。
相対を離れた者とは、
過去や未来と言った
実体ではないものに囚われない者であり、
大空から雲をすべて取り払った状態
となった人のことです。
また
「中今」
から離れて過去や未来の妄想に関われば、
地上にいる限られた時間を
無駄に費やすことにも繋がります。
「中今」
から離れて過去や未来の妄想に関われば、
地上にいる限られた時間を
無駄に費やすことにも繋がります。
さらに
この
「憎しみも望みもない」
とは、
喜怒哀楽の感情的な揺れからも離れている境地
が表現されています。
「憎しみも望みもない」
とは、
喜怒哀楽の感情的な揺れからも離れている境地
が表現されています。
喜怒哀楽のうちの
哀れみと怒りからは、
憎しみが生まれます。
哀れみと怒りからは、
憎しみが生まれます。
喜怒哀楽のうちの
喜びと楽からは、
さらなる願望が生まれます。
喜びと楽からは、
さらなる願望が生まれます。
これら感情から離れ、
何事が起っても、
静謐な心を保つこと
が重要と説きます。
何事が起っても、
静謐な心を保つこと
が重要と説きます。
また同様に
「憎しみも望みもない」は、
顕在意識が作り上げた
悪と善、
光と闇
などという
二元的な概念の象徴にもなっており、
二元的概念からも離れた状態
をも意味しています。
「憎しみも望みもない」は、
顕在意識が作り上げた
悪と善、
光と闇
などという
二元的な概念の象徴にもなっており、
二元的概念からも離れた状態
をも意味しています。
このように
ギーターには
短い言葉の中に多くの意味が多重に含まれています。
ギーターには
短い言葉の中に多くの意味が多重に含まれています。
また
ギーター全般に使われている美しい韻を踏む言葉は、
それを正確に唱える人の生体の波動にも良い影響を与えます。
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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