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— PRESIDENT Online / プレジデントオンライン (@Pre_Online) May 6, 2022
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本当に偉い人間とは「人生で夢や希望をまったく叶えられなかった」のに、しぶとく生きている人である だから禅僧は中学生に「夢や希望なんて持たなくてもいい」と話した。南 直哉(みなみ・じきさい)禅僧
1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。夢や希望が必要ないのと同じように、「生きがい」や「やりがい」の類も、無くてかまわないと私は考えます。
「せっかく生まれてきたのだから、意味のある人生を送りたい」と言う人がいますが、「せっかく」はなく、この世に「たまたま」生まれてきただけです。
もちろん、「やりがいのある仕事」や「生きがいに満ちた毎日」がある人は、その日々を謳歌おうかしていただければいいでしょう。
しかし「生きがいが感じられない」「やりがいが見つからない」と、悩むほどの問題ではありません。そんなものがなくても十分生きていけます。
本当に偉い人間とは「人生で夢や希望をまったく叶えられなかった」のに、しぶとく生きている人である だから禅僧は中学生に「夢や希望なんて持たなくてもいい」と話した (3ページ目)しかし、彼らはもともと優れた才能や精神力があり、自分の夢を叶えるために相応の努力をしたわけです。その才能と努力に見合った結果を出したのですから、その意味では、当然のことをやったまででしょう。でも、血…
まぁ、たまたまこの時代に生まれてきた。
それはそう思う方が良い。
今の時代、、
役に立つとか、、
感動を与えるとか、、
何か「人はどう生きるべきか」とかな価値観を刷り込まれ過ぎていることが、、
生き甲斐や、やりがいの喪失につながっているように思いますね。
色んな発明がニンゲン世界を豊かにしたかもしれない一方で、、
逆に不幸を沢山作った可能性もある。
そういう意味では、、
そういう「偉人」という人がいてもいなくても、、
世界は変わらない。
その発明が無かっただけで、、
無い世界で、その無いものと比較することは無いんで、、、
つまりエジソンやテスラがいてもいなくても変わらない。
電気が無くても、、
電気を知らない世界からしたら何が不便なのかわからない。
そこに「たまたま生まれた」人達で、、
文明も文化も作られていく。
ですから、、
何も固執する必要は無いですね。
そう思います。
何気に生きてきても、それは積み重ねた人生です。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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