曹洞宗大本山總持寺②御霊殿【大いなる流れのなかの、自分】

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横浜市鶴見区の曹洞宗大本山 総持寺の境内にひっそりと配されているのが、南朝初代天皇の後醍醐天皇をお祀りする「御霊殿(ごれいでん)」です。

後醍醐天皇は、太祖 瑩山(けいざん)禅師との問答にいたく感動され、これにより總持寺は官寺(かんじ=国から経済的保障を与えられた寺院)に昇格したのだそうです。

こうした由縁もあって、後醍醐天皇の600年の御遠忌を機に、總持寺境内に御霊殿が建立されました。

太祖堂から伸びる長い廊下を横切り、境内のもっとも後方(=北側)にございますので、皆様も機会がございましたら是非お参りに行かれてくださいませ。

本日は、御霊殿にて祈った際に降ろされた御言葉をお伝えさせていただきます。

Rinokia

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「天皇という存在は、自らの姿について、この国の成り立ち(=創成)より連綿と続く歴史の一端として、いかなるときも見据えることを大切な命(めい=使命)といたします。

脈々と続きゆく天皇というこの国ならではの仕組みは、天皇に据えられた者とても、己の意志、思惑(願い)などでは到底及ばぬほどの流れでもあり、こうした“宿命”とも言える出来事が、すでにこの世に生まれながらにしてわが身に配されているとも申せます。

こうした、ひとりの存在が、天皇として現に世に示される(=〇〇天皇になる)ことは、幾多の人々の想いやそこに対する命懸けの行動等に拠(よ)るものでもありましょう。

しかしながら、いつの時代にも荒波(大きな変革や乱世)はやってくるもので、それであってもなお絶えず天皇家は続きゆき、今日(こんにち)に至っていることは、すでに人間的な操作(=人智)を超えております。

人間が想い描くよりもさらに壮大で、しかしながら、その壮大な流れのなかに、確かに一つ、この身を天皇として据えられているという事実は、何を成す(見る・おこなう)にもあらゆる面で影響を及ぼさぬことはないのです。

わが身のおこない、振る舞いの一つ、意思の発露が、ひいてはこれより続く世にいずれかの形で深く根を生やす(=強く影響を及ぼす)こと、この事実をもって日々を粛々と生き続けること、これこそが、天皇がまっとうするべき役目でもあります。

ですが、この生き様は、けして天皇のみが担うのではありません。

国を成すすべての民もまた、立場は異なれどもすべてがこの国(日本)の脈々と続きゆく欠かせぬ種子(=糧)であり、まさに国の“土壌”を育(はぐく)むのです。

今まさに、変革の時代ーーー 天は動き、地は絶えず揺れております。

このさなかにそれでも根づかるべきもの、続く未来への燈火となり得るのは、やはり、人間の虚(うつ)ろならぬ営み(=堅実な生活)でありましょう。

これに勝る、生きる術(すべ)はありません。

古来より日本の民は、こうして種(しゅ)を長らえてまいりました。

今この時を懸命に生きながら、同時に、長らくの、あるいはより壮大なる視点より導き出される物事を大切な基点(指針)として、自らの生き様と結びつけてまいったのです。

この“大局”の視点に立つことが、今ほど求められる時代はありません。

先の見通せぬほどの暗たんたる世に、あなたがたの真眼(=確かに見通していくこと)が、今や日ごとあらゆる事象を通じ、幾度も問われているのです。」

以上

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Source: 神々からのメッセージ

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