鎌倉 錢洗弁財天宇賀福神社 本殿【お金も縁も、彩り豊かに巡らせる】

その他

(前回【Rinokiaのひとり言】)

(筆者が神に問いました:「お金を洗うことの意味とは何でしょうか?」)

「錢(=お金)を洗うのは、多くの人の手から手へと渡るなかで自(おのず)ずと付いた欲をはじめとする想念や、他(他人)が込めた想いなどを洗い流すこと、つまりは(欲などの)“穢(けが)れ”を禊(みそ)ぐためでもあります。

得てして人は、錢というものに心移ろいやすく(=浮き沈みや心変わりをしやすく)、そうした所業も含め、すべてあなたがたが持つ(手にする)錢にも深く沁(し)み込んでまいります。

それらはまた実に重たい波動となり、次に持つ(お金を手に入れた)人の活動、さらには昌運さえも遮(さえぎ)るものとなるでしょう。

ただし、この“禊ぎのためというのは、本来の錢洗いの意味としてはごく一面に過ぎません。

われら(神々)の願いとは、より先んじた(=前向き)物事へ向けてです。

錢を用いることで、人から人へ様々な物事が行き交います。

互いの関わりを促進し、(お金を介することで)より発展的な関係、あるいは物事が展開していくことでしょう。

そうした、人間の住まう地(=現象界)での互いの関わりに、まさに“水”のごとくに流れゆく(=巡っていく)錢こそは、何よりも適した介在(※両者の間をとりもつ存在)となります。

縁(えにし)もしかり、人の世は、巡り巡って実に多様な姿(様相)と、そして人間模様を表します。

こうした人の世の縁を、錢という介在を通じ、美しく、彩り豊かに引き合うのです。

一人ひとりが現象界という場(フィールド)を立ち回り、錢に託した各々の想い(願い)を少しでも実現させるべく、この世は日ごと多岐に進んでまいります。

ですから、錢というものは、自らの誠実なる想いによって用いるべき、尊き“宝”なのです。

錢を通じ、自らも、そしてより多くの人の日常が発展していくこと、これらこの世すべての幸福のため、感謝と喜びのままに用いる、その教え(教訓)の場として、淀みなく絶えず湧き続けるこの霊泉の社(やしろ)は元来存在いたします。

ですから、“錢を洗う”という行為の本義として、(お金を使うことは元より)自らの手より発するあらゆるおこない(活動・行動)こそは、いよいよ清澄(せいちょう)に、そして麗しく、幸福なる物事を体現するとして、決意を新たにしていただけることを切に願います。」

以上

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Source: 神々からのメッセージ

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