神の詩 第六巻 第九節の途中から抜粋 9

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神の詩 第六巻 
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ここでは
第六章第九節の途中から一部抜粋していきます。

物質的なものにしがみつく限りは、
快楽と苦悩の循環に巻き込まれてしまい、
避けることのできない無数の精神的変化を経験します。

動揺して不安定な心は物質界に囚われ、
そこから抜け出すのは容易ではありません。

この苦悩が臨界点に達すると、
夜の暗闇が日の出によって消えていくように、
心の暗闇の中で霊的な光を求めるまで続くことになります。

「すべての二元性が、苦悩となる。
このように常に意識に記憶させ、
心を欲望から生じる感覚的満足から退かせよ。」
マーンドゥキャ・ウパニシャッド

「目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れて、
どのような快楽も余さず試みた。
どのような労苦をも私の心は楽しんだ。
しかし、私は顧みた、
この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
見よ、どれも空しく、
風を追うようなことであった。
太陽の下に、益となるものは何もなかった。」
コヘレトの言葉より

釈迦大師は、
この世の苦悩を、
誰にでもわかりやすく家の火事に喩えました。
それは、
「法華経」の譬喩品(ひゆぼん)中に収録されています。

ある裕福な長者が古い家に住んでいました。
壁は崩れかけて、入り口は一つしかありません。
ある日、その古い家の中で、突然火の手が上がりました。
長者は慌てて火から逃れて、外に出ました。
ところが、まだ三人の子供たちが家の中で、
火事に気がつかずに玩具で遊んでいました。

長者は、なんとかして子供たちを助けばければと、
家の中で遊ぶ子供たちに呼びかけました。

「おーい、子供たちよ、火事だ。家の外に出てきなさい。焼け死んでしまうよ。」

子供たちは、
まだ幼くてよくわからないまま、
逃げることなく、
玩具で遊んでいました。

長者は、
なんとかして子供たちを助けなければならないと考えました。

「子供たちよ、外に楽しい車がたくさんあるぞ。
牛の車、羊の車、鹿の車があるから、出ておいで。」

子供たちは、
新しい車の玩具があると聞いて、
燃えている家から喜んで飛び出てきました。

家は焼けてしまったものの、
子供たちは三人とも無事救出できました。

子供たちは言いました。
「お父さん、早く車をちょうだい。」

長者は、
子供たちに公平に同じ白い牛の車を買って与えました。

この話の長者とは、
仏陀のことです。
燃え盛る家とは、
この世の煩悩や苦しみです。
子供たちとは、
地上にいる人々。
火事がわからないまま玩具で遊ぶのは、
苦しみという結果を理解しないまま目先の快楽に囚われている
ことを意味しています。

続きます。


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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