「生まれてきてくれてありがとう」――。

その他

「あんたなんか
 産まなきゃよかった」――

母からそう言われたのは、
私が10歳くらいの頃

居間でいつものように
父と母が口喧嘩をしていた

母が一方的に
“離婚”というワードを出すのは、
もう当たり前のことだ

私はそんな父と母の
聞きたくもない喧嘩を、
台所で聞いていた

子どもとしては
なんとも複雑な思いである

そのときだった

感情的になった母が
つかつかと台所にやってきた

そして私にこう言い放った

「あんたなんか
 産まなきゃよかった!!」

...と、この話は、
“ここまでは”、ブログにも何度か綴っている

が、実はまだ続きがある

こう言い放った母は、
さらに私に追い打ちをかけた

「あんたがいなかったら、
 いくらでも離婚できたのに!!」

私はなにも言えず、
ただ黙っていた

父が庇ってくれるでもなかった

このとき父も、
母と同じことを思っていたのだろうか

真意はわからない

  私は記憶になかったのだが、
  あとになって
  母に聞かされたところによると、

  「あのとき(夫婦喧嘩)、
   あんた、台所で
   ひざまずいて泣いていたよね」

  と...

  記憶から追い遣られていたのは、

  『嫌なことは忘れる』

  という、
  人間に備わった、
  都合のいい脳の仕組みのお陰だろうか

私は要らない子だった

母には邪魔な存在

私がいるから母が自由に生きられない

私がいなかったら、
母は違う人生を歩けたんだ...

ずっと、そんな思いを抱えながら
生活していた子ども時代

私に乳がんがわかったときは、

「これで私はいなくなれる」
「これで私は母より先に逝ける」

そう思った

そしてこれこそが、
“私の運命だったのだ”と思った

「誕生日なんてくそくらえ」

「家族団欒のクリスマスなんて、
 なんで日本でやるんだ...」

1年に2度訪れる、大っ嫌いな日

「誕生日おめでとう」

って、なにがめでたいんだ...

でも、乳がんになって、
死に損なった私が思うのは、

“誰かに必要とされる大切さ”

こんな私でも、
頼ってくれる人がいること...

そして、この世の中の、誰か1人でもいい

「生まれてきてくれてありがとう」

そう言ってくれる人がいたら...

“私はそのたった1人のためだけに
 生まれてきた”

そう思えるのかもしれない

  実際にこんなこと言われたら、
  号泣だろうな

私がこの世に生まれてきたことがよかったのか、
それは今でもわからない

たぶん、考えたところで
一生答えは出ないのだと思う

でも、

「生まれてきてよかった」

そう思える人生を送ることはできる

悔いのない人生...

自分らしい生き方を――

  夕方、きれいな虹が出た

2023/07/07 虹

  途切れた虹の行き先は、
  雲の上...だろうか

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Source: りかこの乳がん体験記

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