≪私の記録 230≫ 身体は一生、進化する / 難病とがん / 川村カオリさんの死

    2009年7月16日(木)

先日の旭川に引き続き、
今度は札幌で乳がんフォーラムが開催される

旭川のときと、
全く同じフォーラムのようだ

...といっても、講師は違うから、
内容は若干違ってくるのかもしれないが...

どうなのだろう

札幌だと、やはり治療法は
進んでいるのだろうか...

    2009年7月17日(金)

ロック歌手の川村カオリさん

先日テレビで、彼女の乳がんのことを
放送していたけれど...

3か所に転移していたけれど、
5月に新たに転移がみつかり、
今、入院しているらしい

テレビ放送があった4か月前より、
さらに衰弱していた

命の期限は、
あとどれくらいなのだろう...

7歳の娘さんのことを思うと、
とっても切ない

「どうして...」

と、思った

「私が彼女の代わりになるから、
 奇跡が起きて!!」

と、願った

    2009年7月20日(月) 海の日

ここのところ涼しいせいか、
身体が楽だ

それとも
副作用が軽くなってきたのだろうか...

  それはないか...

“涼しい”というより、もはや“寒い”

朝晩は、ストーブが必要だ

7月だというのに...

今月に入ってから、雨ばかり

暑かったのはほんの数日だけ

そんな中、
まもなく7月も終わろうとしている

6月はあっという間に過ぎてしまったが、
今月も早い

“早い”ということは、
少しは日々の生活が
充実しているということなのか

いや、単に、“惰性”だな...

手術から2年以上も経つと
身体は相当、元に近い状態まで
回復をしている

左腕の筋力、
放射線治療で焼け焦げた皮膚、

そして、

「もうこれ以上、
 薄くなることはないだろう」

と、諦めていた、
乳房切除のときの
色素を入れた数十個の針痕も
かなり目立たなくなってきた

墨で塗りつぶしたように真っ黒だった乳輪も、
今ではほとんど元の色に戻っている

こうして身体は、
一生をかけて元に戻っていくのだろう

完全に戻ることはなくても、
身体は死ぬまで前に進もうとしている――

きのう久し振りに、
前の職場の人に会った

難病になってしまった職場の先輩、
入院したらしい

微熱が下がらないということだったが...

どうなるのだろう...

“難病”って、
“治療法がない”ということだよね

その恐怖と不安って...

「まだ治療法があるがんの方が
 いいのかもしれない」

と、思ってしまう

もちろん、
比べられるものではないのだけど

    2009年7月22日(水)

今日は46年振りの皆既日食

但し、“沖縄の地域では”

北海道は半分くらい

しかも分厚い雲に覆われて、
薄暗くなったのかさえ判断がつかなかった

次の皆既日食は26年後らしい

それまで生きているのだろうか...

    2009年7月25日(土)

完全に“梅雨”だ

あろうことか、
北海道に梅雨前線がかかってしまっている

こんなこと、記憶にない

連日の雨...

今月は、
何度、太陽が顔を出してくれただろう...

    2009年7月29日(水)

乳がんを公表し、
再発をして病と闘っていたロック歌手の
川村カオリさんが亡くなった...

きのう午前11時1分

38歳――

早かった...

想像していたより、
ずっとずっと早かった...

若年性だと、
やっぱり難しいのだろうか

彼女が亡くなった時刻の“11時1分”

私が入院・手術をしたときの、

  病室 11号室
  6人部屋のベッド番号 1番

  1月11日午前11時、手術

...という“1並び”を連想させた

同じ“乳がん”という病のひとが亡くなるのは
やっぱりつらい

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 ★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

 
Source: りかこの乳がん体験記

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