今は
どこの花火大会も
すごい人出ですね。
美しい。
これは少し古い頃の動画です。
動画にはBGM入れてあります。
著作権使用許可済です。
ところで、
花火と言えば
「た~まーやー」「か~ぎーやー」とのかけ声があります。
でも
たまやの悲劇を知る人は
あまりいないと思います。
花火は
かなり古くからありますが、
江戸時代になると、花火を専門に扱う火薬屋が商売を始めています。
江戸の花火を代表する花火専門店は、
鍵屋と玉屋です。
ずっとさかのぼって、
初代鍵屋の弥兵衛は
大和国篠原(現在の奈良県)出身で、
幼少の頃から花火作りが上手く
江戸に上京した弥兵衛は、玩具花火を売り出しました。
弥兵衛は、
さらに花火の研究を続けて、
江戸で「鍵屋」を開業しました。
「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」
この句は
鍵屋の守護神であるお稲荷さんの二頭の狐が、
一頭は鍵を口にくわえ、
一頭は玉をくわえていたところから、
この鍵をとって創業の際に屋号にしたことを詠んだものだそうです。
それから約150年。
玉屋は
七代目の鍵屋の番頭として働いていた清吉が
暖簾分けを許されて、
市兵衛と改名して、
両国に「玉屋」を開業しました。
この玉屋の玉も
やはり守護神のお稲荷さんの口にくわえた玉に由来しています。
玉屋が開業してからは
両国の川開き花火大会は、
両国橋を挟んで
上流を玉屋が受け持ち
下流を鍵屋が受け持つようになりました。
それによって
どちらの花火かを明確にするために
「た~まーやー」「か~ぎーやー」というかけ声が生み出されました。
当時の記録や浮世絵などからの推察では
どうやら
玉屋の花火の方が人気だったようです。
当時の浮世絵でも、
玉屋の花火が多く描かれています。
当時の川柳でもやはり
「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」
(「情」と鍵屋の「錠」をかけている)
などと詠まれています。
ところが
1843年5月、
玉屋から失火してしまいました。
そして
店だけでなく半町(約1500坪)ほどの近隣までを焼失する大火事を起こしてしまったのです。
当時木造が密集していたことから
失火は重罪と定められていました。
さらに偶然にも
将軍家慶の日光東照宮への参拝出立の前夜であったことから
厳しい処分が下されることになりました。
玉屋の財産は没収され、
創業者の市兵衛は江戸から追放処分とされ、
たった一代で御家廃業となってしまいました。
今、鍵屋の花火をほむるにもやはり玉屋とよぶ」
と
世間に惜しまれていたようです。
現在では
玉屋の血縁者が
株式会社 元祖玉屋として花火業を行っていると聞いたことがあります。
鍵屋は
その後も発展を続け
日本を代表する打ち上げ専門花火業者の一つ:株式会社宗家花火鍵屋として
現在に至っています。
ちなみに
現在では東京で有名な隅田川の花火大会も
享保の大飢饉の翌年に
行った疫病や餓死者への慰霊祭の余興から始まったことも
あまり知られていません。
東京都足立区の花火大会も
もう100年の歴史があるのですね。
夏は
花火。
猛暑では
涼しい山に行きたくなります。
たった一日10分で身体をしなやかに保ちます。
ペットボトルがずっと冷えたままになります。
お砂糖よりも生蜂蜜を。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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