科学と宗教
このシリーズでは,本来別世界であるべき 「宗教」と「科学」とを同一世界にまぜると危険であることをみてきました.
キリスト教を始めとする一神教の宗教世界では,神の存在は絶対的です.
そして神と人間との関係は,『人が戒律を守るなら 神は恩恵を与える』という契約関係です. したがって 人は何があっても戒律を守ることを神に誓います.新約聖書・旧約聖書の『約』は約束,つまり誓約 Testamentです.
そして,米国とは異なり,キリスト教がメジャーではない日本で,しかも 神道も仏教もそれほど日常生活には影響を及ぼしていないのは,実は それが宗教であることすら意識できなくなったほど完璧に日本人に浸透した,世界でもっとも強力な宗教=『日本教』[※]があるからだ,というのが前回の記事でした.
[※] この『日本教 Japan Religion』という言葉は,米国人との会話でもよくでてきました.『なぜ 日本人が ああなのか 不思議だったが,そうか Japan Religionか.よくわかったよ』と言っていました.
日本教
日本教には教義も定義もないのですが,ただ特徴はあります.
・素朴な自然信仰
・人間がこの世の中心である
という原則です.
そして,この原則が敷衍された結果,日本人の多くはこう信じています.
- 日本人は 世界のどの民族とも異なるユニークな存在だ
- しかし,『同じ人間なのだから』話し合えば 必ず理解しあえる
- 日本人の繊細でこまやかな感覚は,他の民族にはみられないものである
日本人の感性そのものですね.全国民にアンケートでもとれば,上記は 多分 賛成が多いのではないでしょうか.
日本人は それが自分の仕事であるというだけで,外国から見ると 信じがたいほと器用に そしてきめ細かい仕事をします.
伝統工芸展のこの逸品を見れば,本当にそれを実感します.
食べ物もそうで,日本の繊細な感覚で作られる伝統的な和菓子・料理は,まるで食べ物というよりは芸術品です.
もっともこの器用さは,時に『ガラケーをあまりにもうまく使いこなせたので,かえって世界のスマホ化の潮流に乗り遅れてしまった』という現れ方もします.
このような日本の文化・日本の美意識を誇ることは,日本人としては当然のことでしょう.『日本教』の根底には,この誇りと自信があります.
だからこそ 日本教の崇拝対象は,神ではなく,自分たち自身=日本人 なのです.
ただし,それが さらに進んで,『日本のものなら すべて最高』『日本以外のものは それに比べれば劣ったもの』と日本以外のものを見下すようになれば,それは明らかに行きすぎであり,しかも 「科学」を見失う恐れもあります.
和食は世界の理想健康食
この言葉は,糖尿病関係の学会では,何度も聞かされました.
・日本食は世界的に見ても理想の健康食である
・これは和食がもっとも健康的であるから.
・なぜなら和食は栄養バランスがとれているから
・だから日本人は和食を食べなければならない
たしかに,今 日本を訪れる国外からの観光客は,典型的な WASHOKU 和食を見て感嘆の声を上げます. それは見た目に美しく かつ おいしいからでしょう.
しかし,この記事でデータ栄養学の権威佐々木敏 東大教授が指摘したように,日本食が『栄養バランスのとれた理想の健康食である』であることを証明したデータは存在しないのです.ただ日本人がそう信じているだけです. つまり『日本教』です.
また一口に『日本食』と片付けていますが,北海道から九州・沖縄まで,日本各地の食文化は実にバラエティに富んでいます. 『日本食はバランスが理想的』と言いますが,それはどの地方の日本食のことなのでしょうか? それとも どの地域であれ,日本食ならば どれも『完全な栄養バランス』なのでしょうか?
そもそも『典型的な日本食』なんてあるのでしょうか?
私は関西の片田舎に生まれましたが,母の生家は山奥なのに対して,私が育ったところは田舎とはいえ小都市で,しかも 海に面していました.ですので普段の食事は 魚などの海産物が豊富でした[★].
[★]余談ですが,当時はアワビは それほど贅沢なものではありませんでした.今から見ればとんでもなく安い値段で売られていました. またサザエのつぼ焼きなどは,夜店では1つ5円か10円で子供の小遣いで買えました.
ですから,子供の頃は,母親の実家へ行くと,見たこともない 普段とは全然違う食べ物が出てくるので驚きました. つまり『山の幸』ばかりで,干物以外の魚はまったくないのです. 生鮮品の流通システムがなかった昔には,たった数十km離れているだけで,『食文化』はまるで違っていたのです.
『伝統的な日本食が一番』という人は,ついこの間まで 日本人は地域によって まるで食べる物が違っていたことを知らないのでしょうか.
日本栄養学のレベル
炭水化物(糖質)が少なく肉食のモンゴル人の平均寿命は日本人よりも17年も短く,血液検査の成績も日本人より悪い結果です.
栄養と料理 2016年11月号 p.111
日本人は糖質の高い食事をしているが,モンゴル人は肉食で糖質が少ない,それが平均寿命の大きな差になっているというのです.
そもそも 医療水準,健康保険制度,どこをとっても全く異なるモンゴルと日本との平均寿命の差を『食文化の差だけが原因である』とはずいぶん乱暴な断定です.
それでも 平均寿命が『健康な食事かどうかの指標』であるというのであれば,この例はどうでしょうか.
1955年以降の,日本人の平均寿命(男,女)と,食事中の脂質摂取比率の年次推移です.
食事中に占める脂質の摂取割合が増加するほど,つまり『食の欧米化』が進めば進むほど 平均寿命が延びているのですから,平均寿命だけが指標だと言うなら『食の欧米化』は健康的であり,和食は健康長寿にはよくないということになります.
こんな雑駁な決めつけをしているのですから,たしかに『日本の栄養学は科学にはほど遠い』 と断じられてしまうのでしょう.
異教徒排斥
しかし,これは科学の議論ではなく,『日本食は最高に決まっている』という信念,つまり『日本教』の教義だと解釈すると合点がいきます.
日本教の,つまり宗教的信念がまず先にあり,それに適合する理由を後付けしているので,こんなことを書いていても いささかも不自然さを感じないのでしょう.まさに『宗教的信念はエビデンスよりも強い』のです.
『食の欧米化』という,この憎悪をこめた表現は,正に異教徒を糾弾している『日本教徒』の言葉と考えれば実に合点がいきます.
食事療法は科学であるべき
食事療法が必要な病気の場合,何よりも その食事療法の『治療効果』が優先されます.
高血圧なら減塩食が指示されます.
腎臓病なら蛋白質制限食です.
当然ですね. ここでは『日本の食文化を守ること』などは要求されません.
ところが,こと糖尿病の食事療法となると,『なぜか日本の伝統的な和食は健康的だから』というフレーズが出てくるのです.血糖値やHbA1cにどういう望ましい治療効果があるのかではなくて『日本の食文化』なのです.
なぜ,こんなことになるのだろうと考えだしたのがきっかけでした.
そこで 思い当たったのが 過去の学会でのできごとです.
2014年の第57回日本糖尿病学会の講演で,「白いご飯と,アジの干物,味噌汁,そして漬物だけ」の写真をスライドに映し出して『日本古来の和食のすばらしさ』を延々と10分間近くも語り続けた講演者がいたのです.今にして思えば,あれこそが『日本教』の「信教告白」だったのではないかと気づきました.
エビデンスなどどうでもいいのです. ただ和食だからすばらしいのだと.
このエピソードが動機になりました.それならば『宗教と糖尿病』→『宗教と科学』の問題を一度調べてみようと思ったのです.
宗教と科学とは 完全に別世界であるべきです.これらをまぜると危険 です.
宗教ではなく,科学に基づくのであれば,糖尿病の食事療法は たとえばこうあるべきではないのかと,下記記事を 再度提案してこのシリーズ完結とします. 長々とおつきあいいただきありがとうございました.
科学と宗教【完】
Source: しらねのぞるばの暴言ブログ
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