「あんた、私のお腹、
よく蹴っていたんだよ」
...と、母
いや、家庭内暴力の話ではない
“私が母のお腹の中にいたときのこと”
...である
そう、
私はかなり元気な胎児だったらしい
なので母は、
「この子は絶対に男の子だ!!」
と、確信していたようだ
昔は生まれるまで
男の子か女の子かわからなかった時代
ベビー服の準備をピンクにするか、
それともブルーにするか...
いや、どちらが生まれてもいいように
黄色にしよう
...そんな時代だった
○ピンク=女の子
○ブルー=男の子
というのが当たり前
今はどうなのだろう...
そんな状態だったので、
すでに名前まで考えていたらしい
私が高校生くらいのときだっただろうか
あるとき、
テレビに出ている“海援隊”を観て、
母が言った
そう、あの名曲、
『贈る言葉』の“海援隊”である
「あんた、男の子に生まれていたら、
“鉄矢”だったんだよ」――
その“海援隊”のボーカルの
武田鉄矢さんの“鉄矢”
“哲也”でもなく、
“哲哉”でもなく、“鉄矢”
なんで“鉄矢”だったのだろう...
「でも生まれてきたら、
肩まで髪が伸びた女の子だった」
私は“貞子”状態で出てきたのか...
「おでこに、しわ3本。
顔はお父さんそっくりで、
笑っちゃったよ」
そこに、“新しい命の誕生”という
感動はなかったのか...
まぁ、確かに子どもの頃から、
「お父さんそっくり」と
いつも言われていた
「誰が見ても、
“佐藤さんの娘さん”ってわかるわ」
...って...
子どもながらに、
「そこまで言わなくても...」と、
ショックを受けた
「女の子は父親に似ると
しあわせになれるんだよ」
そんなフォローも
今となっては余計な一言である
そっか...
男の子なら、私は“鉄矢”だったのか...
『佐藤 鉄矢』――
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きのうの桜
ボツにしたけれど、
勿体ないので載せておこう
これも想い出のひとつだしね――
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Source: りかこの乳がん体験記
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