再発後を考える。

「最期はどうしたいのか、
 元気なときに
 考えておいたほうがいいですよ」――

とは、よく言われる話

がんになった頃は、
その“最期”がどういうものなのかわからず
ただ漠然としていた

が、長くがんをやっていると、
いつか来るかもしれない“再発”のことを
考える機会が増えてくる

  いや、再発の不安しかない

殊に、これまで関わってきた、
多くの患者さんのことを思うと
“最期”というものを身近に感じる

それに、がんに限らず、
人はいつか必ず死を迎える

それがどんな形で訪れるのかはわからない

が、そのときのために、
考えておかなければならないことだと
強く思う

そこには“母の死”という現実も、
大きかったのかもしれない

  母もがんの転移により死亡

「万が一、再発したら」――

まず、治療はどうするか...

  ○積極的な治療はせず、
   緩和ケアを受けながら
   最期のときを待つ

  ○とことん治療をする
   (化学療法など)

大きくこの2つになると思う

私はどうしたいか...

たとえば、化学療法を受けるとする

つらい副作用に耐えられるだろうか

その副作用に耐えたところで、
その先に“完治”はない

QOLが奪われてまで
治療を続けるべきか

治療費もバカにならない

そこまでの費用を払っても、
その価値があるのか

そしてその治療をしたところで、
何か月命が永らえるのか...

それでも、
「1分1秒でも長く生きたい」

そう思うのか、それとも、
「数か月延びるだけの命なら、
 こんな思いまでして延ばしたくない」

と、思うのか...

諦めではなく、
「もういいかな」と思うかもしれない

副作用に耐えるだけの日々なら、
少しでも元気に生きたい

と...

「自分らしく最期まで生きたい」という
その意味は、そこにあるのかもしれない

が、母を見ていた思ったのは、
“最期まで諦めない治療”

母は甲状腺がんだった

5年後、肺に転移し、
その後小脳のに転移した

転移後の治療薬はなかった

それでも母は、最期まで
「治す」と言っていた

母は、
“がんが転移したらどうなるか...”
ということを知らなかった

だから最期まで諦めずにいられたのだと思う

それはそれで、
母にとってはよかったのだと思う

そこには“希望”があったから

  見ている家族はたまらなかったが...

そんな母を思い出すと、

“最期まで受けられる治療があるのなら
 受けたほうがいい”

と、思うこともある

が、現実はそんなに簡単ではなくて...

いつかは化学療法も
効かなくなるわけで...

高額な治療費もかかるわけで...

「再発をすると
 治らないんだよ、お母さん」――

そんな言葉は、
ただただ奇跡が起こることを
願う思いに代わっていた

なんとなく、
私は母と同じ道を歩むような気がして...

  でも、母は、
  “延命”を望んでいなかったな...

  緩和ケアに入ったとき、
  延命は断ったのだそう

  担当の医師にそう言われて驚いた

  だって、あんなに
  「生きたい」と言っていたのに

  でも最期に
  迷惑はかけたくなかったのだろうな...

  一度呼吸が止まって
  延命措置を施したとしても、
  生きられるのは数時間

  たぶん意識は戻らない

  「延命をして
   本人が苦しい思いをするくらいなら、
   しなくていいです」

  と、父も医師に伝えた

  それは私も同じ思いだった

  なにより母がそう望んだのなら、
  それを尊重しよう

  憎いよ、がん...

  哀しいよ、がんってやつは...

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Source: りかこの乳がん体験記

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