あのとき解雇さていなかったら、きっと私は今ここにいない。

「おっぱいにしこりがあるんだよね」――

そんな話をしてきたのは、
当時の職場の後輩(年齢は上だけど)

「え、そうなの? 私もあるよ。
 もう3年以上前かな。
 病院に行ったけど“良性”って言われた」

と、私もしこりのことは
初めて他人に話した

「“おっぱいのしこり”って、
 病院、どこ? 婦人科?」

と、彼女が聞いてきた

おっぱいだし、やっぱり“婦人科”と
考えるのが普通かもしれない

私も当初は婦人科へ行った

周囲も“婦人科”と言っていたけれど、
なんか違う感じもしていた

今でこそ、
“おっぱいは外科”と認知されている

が、当時は私の周りに
乳がんに罹った人もいなかったし、
私自身も
がんに関しての情報も知識も
当然のことながらなかった

そんな話を年上の後輩としていた頃、
私のしこりは徐々に大きくなっていた

「良性だから特に治療はないけど、
 あまり大きくなるようだったら
 切らなきゃいけないよ」

との医師の言葉が
ずっと頭に中にあった

が、仕事をしていると、
自分の身体のことはあと回し

“どうせ良性だから――”

と、そのままにしていた

しばらくして、
私は会社を解雇される

この街からの撤退が
会社の方針だったようだ

「病院に行くなら、
 仕事をしていない今だよな...」

そして私は病院に行く決心をしたのだが、
行ったのは“おっぱいのしこり”ではなく、
数年前から時折
激痛に襲われていた“婦人科”

「おっぱいはどうせ良性なんだし、
 大きくなってから切るより
 少しでも小さいうちに切ったほうが
 傷も小さく済むし、
 楽なのかもしれないけど」

そんな思いがあったので
おっぱいは二の次

「子宮の激痛を
 なんとかすることのほうが先だ...」

時折起こる子宮の激痛は、
大きな筋腫が原因のようだった

「このままでは子どもは産めないよ」

という医師の言葉を聞いて、
まだ結婚もしていなかったが
手術を決意

...が、
子宮筋腫の摘出手術の半年後だった

大きくなったおっぱいのしこりを
切除してもらうため
4年7か月振りに行った病院で
“乳がん”と診断されることになる

「なんであのとき(4年7か月前)、
 もっと詳しい検査を
 してくれなかったんだ!!
 (視触診だけだった)」

「なんであのとき、
 “1年に1度、検査しましょう”と
 言ってくれなかったんだ!!」

「なんであのとき、
 大きな病院を紹介してくれなかったんだ!!」

そんな怒りが湧いた

いや、怒りしかなかった

「そうしたらきっと、
 私はもっと違う人生を生きられたはず」

と、哀しみが襲ってきた

「...で、4年7か月も放置して、
 私はどのくらい生きられる?
 私の命はあとどれくらい?」――

そして、あれからもうすぐ18年――

時々思う

「もしあのとき、
 解雇されていなかったら――」

そうしたら、私はあと1年...

いや、2年...

もしかしたら3年、
きっと病院には行っていないだろう

「あぁ、しこり大きくなってきちゃったな。
 邪魔だな」

と、軽いことしか考えずに

解雇を伝えてきた、
東京支部の30代初めと思われる若い営業マン

本社は大阪にある大きな会社だ

彼の若さだろうか、
それとももともとそんな資質なのか、
いつも嫌味な言い方をしてくる
(大阪本社の担当者に電話をして
 怒りをぶちまけたこともある)

解雇を伝えてきたときもそうだった

「なんでもっと人を思い遣る言い方が
 できないんだろう...」

と、私は解雇の話が出たあと、
まったく仕事にならなかったくらいだ

乳がんがわかったあと、
その営業マンに電話をして、

「あのときクビにしてくれたお蔭で
 命助かったわ!!」

と、これまでの彼への鬱憤を
晴らしたいくらいだった

そう、あのとき...

あのとき解雇されていなかったら...

きっと私は、今、
ここにはいないだろう

そんなことを考えると、

「これが
 “運命”というやつなのだろうか...」

と、思う

そんな運命もどうなのか...

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Source: りかこの乳がん体験記

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