人は得てして視野を狭くし、文字通り“周りが目に入らぬ”ほどに、感情やあるいは自らの固定観念(偏見)に大いに左右される。
そうであるならば、日々の心がけとしては努めて広く世を見渡し、また互いの相関(=相関性)を常に心に据えていかねばならぬ。
神々の持つ視野は限りなく広く、ゆえにこそ、地上における一つひとつの生命を、この広い視野をもってつぶさに見据えることができるのだ。
人間は、神になれぬ。
しかしながら、もし神が、広い視野にてすべてのものを等しく、そして変わらず地上を見続けているのであれば、その眼差(まなざ)しのさなかに生きるそなたこそは、無上の安堵を得て、自らの視野を少しでも広くこの世を見据え、そして全力の愛をもって互いに関わることができるのではないだろうか。
なぜに神と人間は、こうも視野が異なるのか。
なにゆえ神は、途方も無きほどに幾年(いくとせ)を経てなお、地上を、そして人間を、愛しく見続けるのだろうか。
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Source: 神々からのメッセージ
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