たくさんの患者さんと出逢って、
本当にいろいろなことを
考えさせられてきた
乳がんの場合は特に、
女性の大切な乳房を切ることになる
中には、
「もうおっぱい要らないから、
早く切っちゃってください」
そう言うひともいる
「邪魔だから、
もう片方も切ってほしい」
そんなひともいた
このような思いを抱いているのは
比較的、年齢が高めのひとたち
が、きっと、
乳がん告知を受けたばかりの
多くのひとたちは、
「手術はしたくない」
そう思うのではないだろうか
もちろんそれは私も同じ
なかなか踏ん切りはつかなかった
“まな板の上の鯉”と決心がついたのは、
「手術の日が決まった」と、
病院から連絡が来てから
それまで1か月ほどかけて
全身に転移かないかの検査をしていたときは、
乳がんであることも、
おっぱいを全摘しなければならないことも
受け入れられていなかったのだ
「手術は受けたくない」という理由は、
○もう自分は歳だから、
今さら手術はしなくてもいい
○おっぱいがなくなるのが嫌
と、大きくこの2つのタイプに分かれる
が、私は、
「どうか手術は受けてください」
と、お願いしたい
なぜなら手術をしないと、
がんが表に出てくるから
出血や浸出液が出てくるため、
その処理が大変なこと
胸は顔のすぐ下のため、
直視しなければならないこと
そして、においもしてくる
なので、
たとえ術後補助療法を
拒否したとしても、
手術だけは受けてほしい
その、“術後補助療法”
乳がんの場合は、
放射線治療や化学療法だけではなく、
ホルモン療法がある
中でも化学療法は
特につらいイメージだ
それでも昔と比べると
副作用の対処もできるようになった
入院をしなくても
外来で受けられるのがその証拠だ
それでも様々な副作用に見舞われる
「抗がん剤は副作用がきついから
やめたい」
と言うひとも少なくない
中には、
「もう年齢も年齢だから、再発してもいい。
抗がん剤をしていると副作用がきつくて、
これまでやってきたこと(趣味など)が
できない。
年齢的にも
あと何年生きられるかわからないから、
旅行をしたり好きなことをして
今まで通りの生活がしたい。
だから治療はやめたい」
というひとがいる
片や、同じ年代のひとでも、
「治療はやりたい。
私はもっと生きたい」
と、言っているひとも
そのかたは、こんなことも言っていた
「でも先生は治療をしてくれない」
と...
たぶんすでに、
施す治療がなくなっていたのだろう
生きるために治療をしたいのに、
できる治療がない――
なんとも切ない話である
これが今のがん治療の限界...
私の母も、
「生きたい」と願いながらも、
できる治療はもうなかった
昔は、
“治療は医者の言う通りにするもの”
だと思っていた
実際、医者にはなにも言えなかったし、
言えばなにか言い返されることもあった
“病気に関しては素人なのだから、
黙って医者の言うことは聞くもの”
そんな印象だ
が、今は、患者自身が治療の選択ができる
考えてみれば、自分の身体だ
自分の一生だ
自分の人生だ
自分で決められないなんて
おかしいと思う
治療を続けるのも
受けないのも、
それは患者個人に委ねられている
もちろん医者は、
最善の方法を提示してくれる
医者は、
病気を治す手伝いをしてくれるひと
だから「治療はしたほうがいい」と
言うに決まっている
だって医者は、
ひとの命を救うのが仕事だから
私も、命は最優先だと思う
治療はしたほうがいいに決まっている
...と、思う
が、「治療をやめたい」と言うひとに
私自身の気持ちを
押しつけるわけにはいかない
それぞれの人生や生活環境、
年齢や病期、病状などを考えれば、
“治療がすべて”ということに
少しだけ疑問符もつく
そして、
なにかとお金がかかるがん治療
経済的な理由で
治療をやめざるを得ないひとたちもいる
私もこのタイプだった
実はこれが一番の問題だとも感じている
“続けたいのに続けられない”
ということだけは
なくさなければならない
“治療を続けていくために働いている”
そういうひとも多い
なんのための人生か...
なんのための治療か...
なんのための仕事か...
そんな理不尽さを感じるのだ
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Source: りかこの乳がん体験記
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