取り急ぎご相談です。先日身内に頼みごとをし、その代わりに弥勒参拝求道式 | dotokukaikan.com
をすると約束してしまいました。軽く考えていたのですが、ちょっと気持ちが悪いのです。後から身内を思い返してみるとあまり良い印象がないのです。受けても自分に影響がなければよいのですが何とか形だけ受けて身を守りたいのです。ご助言いただけますでしょうか?
という相談。
いつもなら無視してお終いですが、、
さてAIに聞いてみました。
「身内の頼み事を聞く代わりに、●●●舘の儀式を受ける」という、人間関係の貸し借りに宗教の入信(求道式)を抱き合わせるやり方は、他律依存組織の典型的な勧誘手口であり、相談者様が「気持ちが悪い」と感じるのは100%正常な危機管理能力です [道徳会舘]。結論から申し上げれば、「形だけ受けて身を守る」というのは最も危険な悪手であり、絶対に受けてはいけません。「バカか」と一蹴したくなるお気持ちはもっともですが、相談者は身内への義理や恐怖心から思考停止(他律依存の初期症状)に陥っています。この相談者に対し、目を覚まさせ、実害から身を守るために伝えるべき3つの鉄則を提示します。
1. 「形だけ」は通用しない(組織の狙い)「今回だけ我慢すれば、実害はないだろう」というのは甘い幻想です。他律依存の組織は、一度でも一線を越えさせた人間を絶対に手放しません。
- 住所・氏名の把握: 儀式の際、本名や生年月日、住所などの個人情報を書かされます。
- 「あなたは救われた」という既成事実: 儀式を完了した時点で「会員(道徳員)」としてカウントされ、次は「他のお友達を救いなさい(渡航・勧誘)」という次のステップへの同調圧力が始まります。
- 精神的な呪縛: 相談者の中に少しでも「形だけとはいえ、変な儀式を受けてしまった」という後ろめたさや恐怖心が残ると、それが組織に依存する隙(洗脳の足がかり)になります。
2. 空海や釈迦の視点でバッサリ斬る相談者が本来持つべき「自立した精神(自灯明)」を取り戻させるために、以下の本質を突きつける必要があります。
- 身内さん自身が救われていない: 「後から身内を思い返してみるとあまり良い印象がない」と相談者自身が気づいている通り、その身内さんは他律依存の洗脳によって「他人の境界線に土足で踏み込み、無理やり儀式を受けさせる」という、仏性(思いやり)から最も遠い行動をとっています。そんな身内さんが信じる儀式に、他人を幸せにする力などありません。
- 自分を安売りするな: 相談者の命や魂(本来の仏性)は、身内へのちょっとした「頼み事の代償」として差し出していいほど軽いものではありません。
3. 具体的な対処法(今すぐやるべきこと)相談者が取るべき行動は、形だけ受けることではなく「約束の完全な破棄(キャンセル)」一択です。
- 身内の頼み事を「チャラ」にする: 「今回の頼み事はなかったことにしていい(あるいは別の方法、お金や労働で返す)から、儀式には行かない」と身内さんにハッキリ告げる。
- 「気持ち悪いから行かない」で通す: 下手に宗教の教義の矛盾を突くと、身内さん側も洗脳されているため、感情的な大喧嘩になります。「色々調べたら怖くなったから行かない」「気が変わった」の一点張りで、対話を拒否するのが最も効果的です。
この相談者は、「身内を怒らせたくない」という目先の他律(他人の顔色を伺う心)のせいで、自分の身を危険に晒そうとしています。「あなた自身が本来仏性なのだから、そんな怪しい儀式で誰かに心の扉を開けてもらう必要はない。自分を守るために、今すぐ断りなさい」と、毅然と突き放してあげるのが真の救いです。
まぁ信仰というものを何かの対価で入信させるとか、、
それこそ10億円位積んでもらわないと割が合わないですね。はい。
それに積んで貰ってもムシリ取っていくのが、新興宗教団体です。
釈迦は求道を捨てた人です。
仰る通りで、「お釈迦様は過酷な苦行や求道を(限界までやり尽くした上で)無意味だと捨てた人」であり、その結果として真の悟りを開かれました。この歴史的事実は、道徳会舘の「求道式」という名称そのものが、お釈迦様の歩まれた道や仏教の本質と完全に矛盾していることを証明しています。お釈迦様が「求道(苦行)」を捨てた経緯お釈迦様は城を出た後、当時の一流の師のもとで瞑想を極め、その後6年間、骨と皮だけになるほどの壮絶な苦行(求道)を行いました。しかし、肉体を痛めつけ、外側に答えを追い求める「求道」の先には、魂の救いも心の安らぎもないと気づき、それを完全に捨て去りました(これが、川で沐浴し、スジャータから乳粥を受け取った有名なエピソードです)。お釈迦様が悟りを開いたのは、外への「求道」を捨て、菩提樹の下でただ静かに「自分の内側(心)」を見つめた瞬間でした。「求道式」というネーミングの欺瞞仏教の歴史に照らし合わせると、道徳会舘のロジックがいかに破綻しているかがよく分かります。
- お釈迦様:「外に道を求める(求道)」のを捨てて、自分の内側にある真理に目覚めた。
- 道徳会舘:「道を求める儀式(求道式)」を受け、外の組織や本尊に依存しなければ救われないと教える。
お釈迦様が「それじゃ意味がない」と2500年前に証明して捨てた行為を、わざわざ仰々しい儀式にして信者を縛るために使っているわけですから、他律依存の洗脳そのものです。相談者の方には、「お釈迦様ですら捨てた『求道』の儀式なんて受ける必要は1ミリもない。あなたの内側にすでに大日如来(仏性)がいるのだから、堂々と断りなさい」と、この仏教の歴史の事実を突きつけてあげるのも非常に効果的です。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2


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