“つながり”のもつ二面性(原爆で命を落とした御霊より)

その他

皆様

本日8月9日は「長崎原爆の日」です。

先の広島原爆投下に続き、ごく短期間のうちに同じ悲劇が起きたことは、本当に遺憾の一言に尽きます。

長崎へ鎮魂の祈りをしていた際に、先日とはまた別の御霊より御言葉を賜りましたので、僭越ながら書かせていただきます。

Rinokia

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「戦争を経験した人は、いわば“二つの局面”を強烈に経験することになります。

一つは、日々の暮らしが脅かされ、それまで関わった人や、あるいは家族とも離れ離れになる(=生き別れる・死に別れる)ことでの極度の“孤独感”です。

これまでの生活がいかに多くの物事と人に支えられ、そして互いに多様に関わり合うことで成り立っていたのかを痛感し、それが、戦争という恐怖のさなかに断ち切られることの無念さは他に言いようがありません。

そしてもう一つは、戦時下における、逃れ得ぬ“連帯感”です。

命を賭しての国と国との戦いは大きな渦であり、それこそ老いも若きも、そして生まれたばかりの赤子でさえも、皆がこれより逃れることはできません。

物理的な拘束と、そして精神的な束縛は、生身の人間を狂わせ、ついには壊します。

本来であれば、皆が一様に(=公平に)得られるべき、日常あらゆるつながりを断絶し、そして本来ならば、自由な意思のもとにすべての人々が適度に関わり合う世の中が、おぞましきほどの強制力をもつ一群となる。

これが、戦争の産物です。

ですから、今をもって私たちは、“つながり”というものの多様な側面を考え続けます。

かつての戦争によって命を落とした者たちは、果たして、どのようなつながりを魂として得ていくのが望ましいのか。

そして、私たちのようなすでに肉体を離れた魂と、後世に生きるあなたがたとのつながりは良き連帯となり、互いの安心と成り得ているのか。

あるいは逆に、御霊たちの互いの存在が、悪しき束縛とならぬか。

そして、後世のあなたがたにとって私たちの存在が、日常はもとより未来への重石(おもし)とならないか。

あなたがたにも、この時期(※原爆投下、終戦の日)には一層、“つながり”というものの良否あらゆる側面と人のあるべき姿、そして国の在り方を考えていただきたいのです。

人は人とつながり合うことで生存し、そしてまた、つながり合うことによって、哀しきかな、連鎖のごとく尊き命が次々と途絶えてしまう。

その二面性を人間は常に持ち合わせ、国はこれらの複雑な仕組みに立って、なお存続していかねばならぬのです。」

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Source: 神々からのメッセージ

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