(祐気取り)山梨 甲斐善光寺① 本堂【“言葉”の威力を知りなさい】

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少し以前になりますが、スケジュールの合間を縫って山梨県へ足を延ばしました。

山梨は場所にもよりますが、車でも電車でも比較的都内から行きやすく、わたくしもしばしば訪れる場所の一つです。

もう一ヶ所、折に触れて赴くのは、左隣に位置する長野県で、その際には、できるだけ信州善光寺へもお参りしております(記事 )。

山梨にも善光寺があると耳にしまして、是非お参りしてみたいと思っておりましたから、にわかに実現できたのは幸運でした。

山梨といえば、歴史上の人物ではまず筆頭に上がるのは武田信玄公でしょうか。当寺も、開基は信玄公です。

川中島の合戦の際、信州善光寺の焼夷(しょうい)を懸念し、ご本尊である善光寺如来をはじめとした諸仏像をお移ししたことからはじまったそうです。

道の看板などを確認いたしますと、甲斐善光寺の近くにも武田神社ほか、武田家ゆかりの場所が点在していることがわかります。

そして、この甲斐善光寺にも、境内の随所に武田家の家紋“四つ割菱”が見られます。

境内は長野の善光寺に比べますと、それほど広くはありませんが、大きな山門とまた本堂も見上げるばかりの大きさが圧巻です。

いったいどのような技術で建てたのだろうと、先人の匠たちの技の凄さを思います。

本堂の彫りも見事です。“龍”の姿はまるで生きているようで、まさに入魂を体現しているようです。

ご本尊の善光寺如来は秘仏です。本日は、戦の災禍を潜り抜けた如来様からの御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「何かしら、自らの意思を“行動に移す”と人は申しますが、人間という存在の、日々遍く(※ここでは“すべての”という意味です。)細胞たちが息づく、その生身たる姿には、たとえ目に見えし(端的な)“動き”ならずも、佇(たたず)まい、雰囲気、あるいは耳を傾けるその仕草、表情ーーー そういった、ごく繊細な所作にこそ、真に自らの“意思は宿る”と思うことです。

たとえ病に伏しその身は動かずとも、あなたがたのその“全身”は、細胞らと共に“息づき”、人間は、天に帰るその日まで、実に豊かともいえる数々の表現に満ちているのです。

何か目に見えるものを求めるは、顕著を至上とし(※ここでは極端な結果を良しとすることなどを指します)、それ以外を軽んじ、貪(むさぼ)るばかりの日々は、ときに空虚すらをもたらします。

慈愛に満ちた、労(いた)わりの、その何とも知れぬほどの(=ささやかな)表情にこそ、人間の本質は宿るでしょう。

今の世(=物質社会)で、あなたがたは自らの想いを、どれほど言葉無くとも事ごとに(=常日頃より)示すことができるでしょうか。

(少し間を置きました。)

そして、ひいては、自らのその“姿”(※ここでは、外見も含めた容姿、雰囲気等を指します。)に、これまでの人生の歩みを、どれほど示す(=醸し出す)ことができるでしょうか

“無言のなかの、有言”(ゆうごん:無言と対称とするために、あえて“ゆうごん”と表現しています。)は、実に奥深き、人間ならではの彩りの世界です。

その上で、ひいては、現に表す(=実際の)“言葉”は、天へ伸びゆく若芽のように意気を得て(=勢いを増して)まいるのです。

言葉はまさに“力”なりて、この世は、言葉により生かされ、そしてときに死を辿る(=滅亡する)ことにもなるでしょう。

あなたがたは、以後さらに、この“言葉”の重みを感じていくことになります。

“言葉”とは、すでに無言の身より数多(あまた)発せられる己の意思が、さらに威力を増し、この世に放出する行為です。

あなたがたは、この真理に一刻も早く気づくことを、われら(神仏)は切に願います。」

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Source: 神々からのメッセージ

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