自分を取り巻く環境が変わるのは当たり前のことです。それを仏教では「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と言うのですね。宇宙のすべての物は変わりゆくという真理です。コロナウイルスも環境の一つです。全てのものが変わりゆく諸行無常が真理であるならば、自分もそれに合わせて自分を変えていかなければなりません。環境が変わっても自分は何とかして今まで通りにしようと思うより、環境に合わせて自分を変える方が新しい人生が見つかって人生がより豊かになると思いますよ。自分もやっぱり諸行無常なのですね
なぜ諸行無常を説きながら、、、
自分も合わせて自分を変えなきゃならんと言い出すのか???
そんな教えは無い。
生き方は自由です。
それに、、
伝統や文化って、、
環境が変わっても継続してきたからこそ受け継がれてきた。
奈良の法隆寺はコンクリートでは無いし、、
RC(鉄筋コンクリート)やSRC(鉄骨コンクリート)でもない。
伊勢神宮も、カーボンやセラミックスで出来ていたりしない。
集成材も使われていない。
釘が出来ても、、
釘を使わない建築の京都の清水寺の舞台とか、、、
それらは、、不幸になっているんですかね???
そういう変わらないものに触れて、、
太古の建築技術の凄さを感じて、、
人生も豊かになるんじゃないですかね????
この20年瞑想坊主は、、
自分の立ち位置とか自分の都合を正当化するために論を組み立てているだけです。
ジム筋トレが出来ない、ロードバイク楽しい、、
だから、一人でアウトとドア大事だとか、、
集団スポーツは無くなるとか、、
コロナ禍を理由にして、、自分を後付けの言い訳しているだけに過ぎない。
その為に釈迦の説いたことを曲解して説く。
それが座禅瞑想の逝きつく先ということは、、、
要は、自分と向き合う座禅ではなく、、、
自分を正当化するために屁理屈をこね回す責任転嫁と逃避思索の瞑想だったということです。
ロードバイク楽しいなら、ただ楽しい、とソレを書けば良いだけなんですよ。
「理由憑け」するのは、言い訳だし、後ろめたいからでしょうね。
※諸行無常なら、ロードバイクも不要になる訳ですしねw
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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