立憲は所詮、権力闘争をしているだけ。その局面に応じて、主張をひっくり返す無責任な人たち

健康法

菅氏は「自助、共助、公助」について「まずは自分でやってみる。そして、家族や地域が助け合う。それでもダメなら、政府が責任を持ってセーフティネットで守る。そうした信頼できる国作りをしていきたい」と説明してきた。

これに対して、枝野氏は「自助を言うなら、政治はいらない。まさに責任放棄だ」と噛み付いた。そのうえで「政治の対立軸が明確になった」と批判し「我々は『支え合う社会』を目指す」と訴えている。


2005年7月29日の「年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議」での発言だった(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/014316220050729008.htm)。ここで、枝野氏は次のように発言している。

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生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。そうした中でお互いの助け合いという共助の仕組みがある。そして、そういうやり方の中でもどうしても救えないケースが出てくるからこそ、最後のベースとしての生活保護が存在をしているのであって、できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。
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ご覧のように、枝野氏は「自助、共助の世界の中で、生活保護を受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか」と訴えている。こうなると、まったく、何をか言わんやだ。また、お得意の「ブーメラン」が帰ってきてしまった。

枝野氏には、せっかく常識的な主張をしていたのに、政権批判のあまり、前言をひっくり返す癖があるようだ。たとえば、憲法改正問題でも2013年9月、集団的自衛権の行使に賛成する論文を雑誌『文藝春秋』に堂々と発表していたのに、安倍晋三政権が安全保障関連法案で一部行使容認を提起すると、徹底的に反対した(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52562)。

今回もまったく同じである。こういう態度では「立憲は所詮、権力闘争をしているだけ。その局面に応じて、主張をひっくり返す無責任な人たち」と、国民に受け止められても仕方がない。憲法や国家観のような根本問題でそうなのだから、話にならない。

河野太郎氏が行革相に起用された理由 加藤勝信氏と強み生かせるか - ライブドアニュース
前防衛相の河野太郎氏は、行政改革・規制改革担当相に就任した。前厚生労働相の加藤勝信氏が官房長官となり、圧力を跳ね返す役回りに。河野氏が外されたわけではなく、双方の持ち味と強みを生かしたという

まぁ反対の為の反対を繰り返すので、、

常にブーメランが突き刺さる。

突き刺さることが野党の「芸」なんですけど、、

意に介さないというところがつまり確信犯なんですね。

「昔言ったことなど大多数の国民は知らない」と国民をバカにしている。

それが枝野だし、蓮舫だし、辻元です。

蓮舫や辻元みたいに、、

ロジックなく大声でまくし立てて相手を圧倒するだけの論法は、、

大中華小中華文化圏のニンゲンだという証明ですね。

取り敢えずこの辺で。

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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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