安倍晋三前首相は自らのツイッターに、今日(19日)午前 靖国神社に参拝したことを明らかにした。NHKによると、安倍前首相はこの日ツイッターで、靖国神社に参拝したことを明らかにし、その参拝した姿の写った写真とともに「去る16日に総理大臣を退任したことを、英霊にご報告いたしました」と伝えた。
靖国神社は、東京都千代田区九段北にある日本最大規模の神社として、東条英機など第2次世界大戦当時のA級戦犯14人をはじめとして、日本が繰り広げた主要な戦争で死亡した軍人・民間人など246万人あまりが合祀されている。
このため この神社は「日本の軍国主義の象徴」とも呼ばれている。
安倍前首相は、政権に再び返り咲いた翌年の2013年12月には、靖国神社へ直接参拝したが、韓国・中国など国際社会から強い非難が起こったため、その後においては主要な行事の度に供え物を奉納することで参拝の代わりとしていた。
(1)極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第11条ならびに、それに基づく衆参合わせ4回におよぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。
(2) 極東国際軍事裁判で「A級戦犯」として裁かれた人々に関して、その人々の法的地位を誤認し、また社会的誤解を放置しているとすれば、それは「A級戦犯」とされた人々の人権侵害であり、内閣総理大臣の靖国神社参拝への合理的な判断を妨げるものとなる。
ちなみに国会でも次の決議が、満場一致で採択されている。
昭和27年6月9日、参議院本会議「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、
昭和27年12月9日、衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
昭和28年8月3日、衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
昭和30年7月19日、衆議院本会議「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づいて関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に、「BC級戦犯」は昭和33年までに赦免され釈放された。
刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。
この東京裁判で、禁固7年の有罪判決を受けた重光葵(開戦時の外相)は、釈放後に再び外務大臣(副総理兼任)になり、昭和31(1956)年、日本の国連加盟式典に代表として出席、国際社会復帰の声明文を読み上げ、万雷の拍手で迎えられた。
戦勝国に「A級戦犯」とされた者が、戦勝国が作った「国際連合」の場で大歓迎されたのである。
この「A級戦犯」を副総理兼外務大臣に起用した総理大臣は鳩山一郎。あの「A級戦犯を合祀した靖国神社の首相参拝」に大反対した鳩山由紀夫の祖父である。
死んだ後まで「戦争責任」を問われ、靖国神社から分祀せよと言われた「旧軍人」も、外務大臣として国際舞台に復帰して、握手攻めにあった重光葵も「東京裁判ではA級戦犯」であった。
これこそ「A級戦犯」という概念がデタラメだったと言うことにほかならず、まさに「東京裁判」なるものの本質を如実に表している。
処刑された7人は「裁判」の名を騙った報復に斃れた戦死者であり、他の戦死者と同様に、靖国神社に祀られるのは当然である。
「A級戦犯」という言葉のイメージも一人歩きしている。
自民党の政治家までが、A級戦犯を靖国神社に祀ってあるから公式参拝反対などと言っている。全くの無知である。
東京裁判は、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかった。これこそ弱肉強食の国際社会を肯定する「軍国主義」にほかならない。
極東軍事裁判は、占領政策として行われ、かつ国際法に反するものであった。
日本と連合国との終戦は、サンフランシスコ講和条約が締結された昭和27(1952)年4月28日であり、この日が日本独立回復の日である。
Source: 身体軸ラボ シーズン2
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