盛岡八幡宮の本殿とは高い柵を隔てて、「神明社」が祀られています。一見すると祀られていることが分かりません。
当日は、八幡宮の広大な敷地内にあります「岩手護国神社」へも続けてお参りしたのですが、護国神社を正面より入ってはじめてこのお社があることに気づきました。
御祭神は「天照大神」で、西暦800年頃、坂上田村麻呂が盛岡の仁王にお祀りしたのだそうです。
伊勢神宮へのお参りはわたくし自身、数年に一度程度ですので、他の神社での境内社に伊勢への遥拝所やこういった天照大神を祀るお社がありますと、あたかも伊勢神宮へお参りするような静粛な気持ちになります。
長らく日本人を見守ってくださる天照大神は、今のわたくしたちにどのような御言葉を投げかけられるのでしょうか。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「外の世界に出ること(※ここでは、外部と接触することです)、何より人と出会うことを恐れてはなりません。
人間とは、人と関わることにて、自らの立ち位置、あるいは役どころを心得(認識し)ます。
逆に申せば、人と離れる(=距離を置くこと)は、時として己の観念を傾かせたり(偏らせたり)、あるいは、慢心(おごり高ぶること)を呼ぶ(=生じさせる)ことでしょう。
人は軟体(※心身の状況が頻繁に変わることです。)でもありますから、良いことも、あるいはそうでない(悪い)ことにも知らず知らず至る(突き進む)ものと念じて(=心得て)いただければと願います。
この世のあらゆる現象(事象)により、あなたがたは気づきを得ます。
無論、自然界にもその大いなる仕組みに、今の自分の姿(人生)を重ね合わせることもあるでしょう。
それらとともに、いいえ、それ以上かもしれません。
人は、まぎれもなく“人から”多くの気づきを得るのです。
ですから、人生最期のときまで、あなたがたは人と関わり、そして飽かず(=貪欲に)教わり、気づきを得ていくことが肝要です。
成すほど(成功するほど・歳ゆくほど)に益々頭(こうべ)を垂れ、自らの、他(周囲)、地域、あるいは国のなかでの立ち位置が、常に相対として(※ここでは、均衡を取るように適したバランスで、という意味です。)しかるべく配されていることを、広く(=広い視野にて)眺めてまいりなさい。」
(次回⑥へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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