生死を司る神【 親の介護について③ 】

その他

(前回よりの続きです。)

自分という存在の、まぎれもなくその“基点”となる親について、介護を通じ、真正面から向き合うことになります。

それは、実質的な親との接点(接触)を得るのみに限らず、(介護として)親と関わるなかで、むしろ、親のこれまでの生き様を、折に触れて(子どもなりの視点で)思い起こすことになるでしょう。

同時に、自分自身の、これまでの人生のあらゆる場面での思考(価値観)と行動、あるいは発する言葉(口癖等)について、改めて自覚する機会を得ることでもあるのです。

“この親にして、自分はどのように育ち、どう生きてきたか”―――

端的な意味での良い悪いではなく、より深い、自分の人生そのものについて、再び(介護を通じての)親との肌と肌との触れ合いによって得る。

これは何より、自身にもっとも必要な機会であると捉えていただければと思います。

親の介護を通じて人間の本質を目の当たりにし、感じ考えていくことで、それまではもしかしたらより広い、外へ向けた視点の傾向にあったものが、いつしか、より自分自身の“内側”へも、深く視点を向けていくことになる。

先祖から紡ぎ出された自分の命は、自分のアイデンティティを想起させます。

そこからの今世の家族と、自分の存在意義ーーー そうしたもっとも“根底”の物事について、いずれの形であれ一人ひとりが考えていくのです。

さらには、今世、親子になったという縁の不思議さを感じつつ、人間ならではの命の繋がりと、自分もまた、太古の昔より連綿と続く命の系譜のそのさなかにあるーーーー それを強く感じることにもなるでしょう。

そうしてやがていつかは、自らもまた、介護を受けるべく年齢がやってまいります。

それは、天へと召される時期が間近になることでもあり、人間としての(肉体的な)命の終息を迎えるのです。

人生の終末に向け何より必要なのは、自分という存在を“省みる”機会を得ることです。あるいは、“見つめ直す”と言い換えても良いでしょう。

無論、天へと召されて以降でなければ、気づけぬこと(理解できぬこと)もあります。

ですが、長らくの魂の道のりを辿るなかでの、人間として(肉体をもって)生きる、という大切なひとときであるならば、そのなかで、できる限り自分なりに学びを得て、人間の一生を完結しておきたいのです。

親の介護をすることの霊的な意味は、何より、“自分を見つめていく機会です。

それが、いずれの魂であっても不可欠ゆえ、親は誰しにも存在するのです。

老いる親とは、肉体的な衰えにともない介護を施されるなかで、実のところ、わが子の霊的な学びを促している、とも申せます。

それがまた親として、子への力の限りの応援であり、(子に示せる現象界での)最後の“愛情”でもあるのでしょう。」

(次回④は番外編です。)

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Source: 神々からのメッセージ

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