生死を司る神【 親の介護について④ 番外編(1)】

その他

前回までの記事では、親の介護の霊的な意味について、生死を司る神よりの御言葉をお伝えいたしました。

これまで当たり前のように元気に過ごしていた親が、日に日に知力体力が衰えていくのを目の当たりにするのは、老いという事実があるからには当然のことではありますが、子にとっては少なからずの衝撃でもあります。

老いにともない、日常生活で少なからずのサポートが必要になってまいります。介護を担う当人は、自身の生活を営みながらですから、正直のところ困難を感じることもあるでしょう。

家族の在り方も年々変わっております。それでも大切な親のこれからの日々に、どのように寄り添っていくべきか、悩みは尽きぬとは存じますが、霊的な意味合いを知っていただくことで、あぁそういうこともあるのだと、少しでも気持ちの面で軽くなっていただけたらと願っております。

さて、生死を司る神へ、わたくしからさらにお伺いいたしました。

“介護をする親がすでに他界している、あるいは、何等かの理由で、親を介護することが叶わない場合にはどのようすればよいか”という質問です。

親自身が受ける実質的なサポートはもとより、介護をする側(子)にとっても、人間ならではの人生の過程をある意味で完結するために“親の介護”は不可欠であると、神はおっしゃいました。

もしそうであるならば、様々な理由によりそれを果たすことができなかった場合には、一体どのような意味となるのか、純粋に疑問が沸いたからです。

以下は、神よりの返答です。

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「この世に生まれるにあたり引き合う大切な“縁”は、当然のことながら親のみではありません。

本当に数え切れぬほどの縁が、近くにも、そして遠巻きにも幾重に敷かれ、一人ひとりの人生はしかるべく成り立っております。

無論、親をはじめとする“家族”は、誰しにも人生の全般、その関わり(あるいは関わらないこと)により、いずれかの行動、言動を引き起こすほどの、まさに人生の“中核”を成す存在ですから、ひとえにその影響を互いに(良くも悪くも)強く及ぼす間柄です。

ですが、長らくの魂の辿る過程のなかの、ほんのひとときの“人間の生(生命)”であるなら、やはり人間界を主とした道理(仕組み)とはなりません。

相応の理由ありて、場合によっては、親があの世へ召されることは(介護を開始するよりも)早くなることもあるでしょう。

さらには、(親と離れて住んでいるため)地理的に介護が難しい、あるいは、どうしても親と相容れない(=不仲)ために、介護を放棄する(または、子からの介護を拒否する)場合も、現実には生じております。

いつかはあの世にて、生前親子になった者同士の、(親子の)縁を結びし意味、関わり合うことでの目的が果たせたか等の“総括”がありますので、己の人生を省みることは誰しもが免れません。

ですが、いずれにせよあなたがたに大切にしていただきたいのは、“この世でしかできないことは、できるだけ果たすべき”という感覚です。」

(次回(2)へ続きます。)


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Source: 神々からのメッセージ

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