四国八十八カ所の霊場巡りをはじめ、全国には数多くの札所がございます。
わたくしも、現在の霊能の道を歩み出してから、予想以上に各地にそういった札所が設けられていることを知り、一時は、年にいくつも札所を巡っておりました。
今回の秩父市にあります“四萬部寺(しまぶじ)”もその一つで、“秩父観音霊場 三十四箇所 ”の第一番(=発願:ほつがん)の札所です。
“しまぶじ”という読み方は、なかなか一回では読めないかもしれません。この名の由来は、平安時代中期の天台宗の僧である性空(しょうくう)上人の弟子 幻通が、四万部の仏典を読経し経塚を築いたことから来ているものだそうです。
正面の山門を入りますと、雰囲気のある本堂が真正面に構えております。本堂のなかにも上がらせていただけますので、しばしときを過ごし心を鎮めるのも良いでしょう。
今回は、本堂にての御本尊 聖(しょう)観世音菩薩からの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
***
「この世(現象界)を生きれば、何の脈絡(あるいは意味)も無いような、いわば雑然とした物事が、一人ひとりの日常に少なからず生じる(起こる)ことでしょう。
その時どき心の浮き沈み、感情の悲喜を見せる(表す)のが人間という生命です。
ある面(側面)には、こうした(雑多な)出来事に、心と、そこからの行動(言動)がその都度異なる様相を示すことは、人間の性(さが:性質)でもあるゆえ、けしてあるまじき(してはならない)ことではありません。
しかしながら、今ほど、一つひとつの現象(出来事)に対して、“過敏(極端)”とも言えるほどに、人々の感情や行動が乱れ、それがまた周囲(他)への少なからずの影響をもたらす、まさに“終わり無き”ともいえる乱世はないのではないでしょうか?
無論、時代は刻々と移り変わります。ですから、この時代ならではの出来事の性質を鑑み、状況に応じ、変わるべくものは変わらねばなりません。
しかしながら、致し方なく変えられてしまうことと、自ら、高き(広き)視点に立ち、変化を恐れず立ち向かうことはまったく別であることは、あなたがたもすでにお分かりのことでしょう。
今や、天より地上(人間界)を見るに(見ると)、今まさに、人は砂鉄のごとく、一つの物事に連鎖のごとく集うか(人が集中する)と思いきや、また、あるときには点で散り散りにまるで規律なく散り果てる様相です。
何らの意思も表さず、そして何らの協調も無く、人は彷徨(さまよ)い、そしてまた、愛するべき(大切にするべき)人を、社会を、そして国を貶める世相は、まさに“苦界”とも申せます(※ここでは、地獄を言い換えております)。
こうした悪循環は、あなたがたの意志で自ら断ち切らねばなりません。
本来、人間の生きる姿には美しさがあります。愚直なまでに自らの信念と、そして人を信じ懸命に“今”を生きる者こそ、真に強く、そして美しい ーーー
この場(=発願の寺)は、まさに、様々な状況にある人々の、その勇気ある一歩を後押しするが為にあります。
あなたがたの人生の前進に、迷いを断ち切り、希望と幸福をもたらすわれら(御仏)でありたい。」
(次回②へ続きます。)
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。
■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
Source: 神々からのメッセージ
コメント