がん患者として。がん患者の家族として。

『日本人の2人に1人ががんになる』――

そんな時代になった

その昔、“死の病”として恐れられていたがんが、
今や“生活習慣病”

がんになった私からすれば
“生活習慣病”という括りには、
なんとも腑に落ちない部分もあるが...

そんな、“誰が罹ってもおかしくない”がん

特別なものではなくなってきた

  それでも社会の目は未だ蔑視的だ

私の家庭は4人家族

母と私ががんになった

まさに、“2人に1人”の確率に合致しているわけだ

が、ひとつの家庭にがん患者が2人もいると、
正直、窮屈である

私は私で、
治療の副作用や心の闇と対峙しなければならない

そんな中でも、母にも気を回す必要がある

「自分は...自分は...」

そんな愚痴をこぼす母にはうんざりした

「あんたは、(楽で)いいね」

と、言われた日には、
私が治療でつらい副作用の中にいたことさえ
感じ取っていない母に憤った

がん関連の書類やアンケート

 『あなたはどの立場ですか』

  □がん患者本人
  □家族ががん

...という設問に、
何度かぶち当たったことがある

私はがん患者本人であり、家族でもある(あった)

『複数回答可』ならいいのだが、
ひとつしかチェックを入れられないことも多い

そんなときは、
もちろん私自身を優先にするのだが、
それだと“家族”としての現状や思いが
蔑ろにされる気がするのだ

“家族ががんになる”

しかも、私と同じ時期にがんがわかった母

  私より2週間早いがん告知だった

“家族だから”、
“部位は違っても、同じがんだから”、
わかりあえると思っていた

が、実際は違った

母は自分のことばかりになり、
私のがんを理解してはくれなかった

いつだって、
「つらいのは、私(母)」だった

母を気遣うのに疲れ、
愚痴をこぼす母から逃れたかった

つらいのは私も同じ

愚痴を吐き出したいのも、
不安な思いも同じだ

同じがんを患った者同士

なのに、存在は遠かった

もともと円満ではない家庭

それでも私が乳がんだとわかったとき、
母は優しく抱きしめてくれた

泣いてくれた

「これで初めて“家族”という形ができあがった」

そう思った

が、それも一瞬で終わった

本音を言えば、

「少しは心配してほしかった」

いや、実際に心配はしてくれていたに違いない

がんを5年も放置し、
“あと2年”だと思っていた命...

まぁ、その母の心配も、
ものの数か月で消えたけれど――

  人間、そんなもん

  家族って、そんなもん

  手術が終われば、“治った扱い”

ただ、私ががんでよかったと思ったこと――

それは、母の終末期

病気のことがわからない父の力に、
少しでもなれたかもしれないことだ

私ががんになっていたから、
その最期を冷静に受け入れられたような気がする

  いや、母が亡くなるのだ

  きっと“冷静”ではなかっただろう

  それでも、
  「私がしっかりしなければ...」

  そんな思いは強かったのは事実だ

“冷静”――

それもまた、
“冷たい娘”に見えたかもしれないが...

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Source: りかこの乳がん体験記

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