赤坂 日枝神社③最終回 末社:山王稲荷神社【己の姿にこそ最大限の心配りを】

その他

今回の山王稲荷神社の名に見られるように、“山王(さんのう)”は日枝神社の代名詞ともいえる呼び名です。

明治以降、現在の“日枝神社”の称号を用いるようになったとのことですが、古くよりは「日吉山王社」などと称され、現在でも“山王さん”と呼ばれ親しまれているそうです。

山王稲荷神社にも、猿田彦神社と同様、熱心に参拝される方も多く見受けられ、商売繁昌や生成発展などを願う大切なお社となっております。

御祭神は、「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」です。

“幸せな人生を歩むためには、何が必要でしょうか”とお尋ねし、稲荷大神よりメッセージを頂戴いたしました。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「物事にはすべて“順序”があります。

たとえ目には見えずとも(=順序を辿っているようには見えなくとも)、必ずや経るべき(経験するべき・辿るべき)“道”は敷かれているのです。

“幸せな人生を歩みたい”ーーー

己の意とする(=自分が思い描く)物事は、叶うべく(叶うための)この世ですから、たとえば(人がそのような)“幸せな道”を歩みたいと思うなら(順当に)叶っていることでしょう。

ですが、往々にして、自ら声高らかに“幸せである”と宣(の)べることのできる者は、一体(今の世に)どれほどいるでしょうか。

では逆に、多くの民が求める“幸せ”に、それでも思うように(幸せ)にはならない(あるいは幸せとは程遠い)という事態は、一体なぜ生じるのでしょうか?

無論、この世は単一なる事象ではなく、もはや数限りない由縁の掛け合い(関わり合い)でもありますから、一方のみの願うばかとはならぬこともあります。

ですが、たとえば単純に、人ひとりの辿る道を考えた際に、“幸不幸”の分かれ道とは(ある意味)実に単純なものとも申せるのです。

この世においても、やはり“幸せ”とは、物事(事態)がそこに留まることでは、けしてなり得ません。

ですから、ここには何等かの発展(前進・進展)が不可欠です。

この(発展への)“動力”には、実のところ何より“礎”(=基礎)が要るのです。

では、その“礎”とは一体何か ーーー

他でもない、あなたが今世の、今まさに任されたその役割(立場)を全うすることです。

幸せを得ぬ者は、自らを(もっとも)見定めようとはいたしません。

あれが欲しい、こうなりたい、こうであればもっと良いのに ーーー

自らの現状はよそへと追いやり、とめどもなく“他”を見よう(求めよう)とする。

そうではなく、今、自分のその姿に関し、最大限の心を配らねばならぬのです。

幸せを望むなら、なおそれと同じくほどに(=同じくらいに)、今まさに自らに任されし物事、欠かせぬ道程(手順)を、常に気を締め(気を引き締め)着実に辿ることーーー

これに勝る、いずれの民の“昌運(=栄えゆく運・隆運)”はありません。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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