赤坂氷川神社③最終回 末社 九神社【“かける”に秘めた意味】

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神社には、六所神社や三峰神社など漢数字がつくものも多いですが、こちらの“九神社”という名前もまた一見すると特徴的です。

この場合の“九”を、“く”と読むのか、はたまた“きゅう”と読むのか ーーー わたくしも一瞬迷いましたが、正解は“くじんじゃだそうです。

この赤坂氷川神社の境内は、元は浅野土佐守邸があった場所とされます。

播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を江戸城松之大廊下で切りつけた俗に言う“赤穂事件”で、のちに内匠頭が切腹した際に、夫人の瑶泉院(ようぜんいん)が、実家であるここ浅野式部小輔長照のところに引き取られたそうで、歴史の一端を感じさせる場所です。

さて九神社は、かつて当社の境内各所にあった“天祖神社・鹿島神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・金刀比羅(ことひら)神社・塞(さい)神社”の計9社を合祀したものだそうで、これらのお社への遥拝所的な要素があるとのことでした。

たいそうな神社をこのお社でお参りできるのはとてもありがたいですね。

九神社の神々よりの御言葉は、言葉の解釈について様々に考えるきっかけとなりました。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「本日は、“かける”という言葉を基点にお話ししましょうか。

この言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

もしこれを漢字に当てはめるとしたら、良否(の意味)どちらにも大きく傾きます。

たとえば、何事かが不足するという意(意味)の“欠ける”でしょうか。あるいは、倍々的な物事を生じさせる“掛ける(※掛け算の意です。)”でしょうか。

われら(神々)が、この度とくにお伝えしたいのは、後者の“掛ける”についてです。

この“掛ける”より派生し、“掛け合わせる”と捉(とら)えても(=解釈しても)良いでしょう。

人間とは、この世に降り立ちて以降、実際には“欠ける状態(状況)の連続でもあります。

完全ではない姿が、周囲の援け(愛)を受け、少しずつその欠けを満たしていくのです。

さらには人生が進み、より展開(発展)させていくなかでは、直面する数々の“欠ける”を、縁ありて関わる互い(の存在)によって補っていくことが何より欠かせぬでしょう。

(現象界における)完全ではない存在として、あなたがた人間がこの世に在る(存在する)ことが、なお(一層)重要です。

互いの欠け(足りないところ)を補っていく、これがまさに“掛ける”ことにつながります。

“欠け”は“掛ける”ことにて形勢を大きく転じ、より一層の奏功(成果・効果)を生むやもしれません。

一つの言葉にも、捉(とら)え方によっては、陰(=マイナス)を翻(ひるがえ)し、もはや陽(=プラス)にまで昇華することができるーーー

この真理を、以後の世(社会)において、あなたがたにはよくよく心に留めていただきたいのです。

“欠ける”ことが“掛ける”ことによって、さらに新たな世界を導き出される、そうした限りなき可能性を、いつのときも(=どんな状況であっても)強く心に念じようではありませんか(=信じようではありませんか)

この世は依然、多くの“掛ける”を求めています。

一人ひとりの力を集結し、そして、互いに(その力を)掛け合わせることにて見える、新たな世界 ーーー

その世界へ向け、天より(使命を)託された皆が、以後の人生にて大いに“翔(か)ける”(舞い立つ=活躍する)ことを、われら(神々)は切に願います。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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