赤坂氷川神社を後にし、六本木方面へ歩いていきますと約10分ほどで「出雲大社東京分祀」に到着いたします。
このお社は、通常の境内とはまたまったく異なる趣きで、ビルの一部が神社になっているような造りです。
コンクリートの階段を昇って3階に相当する高さに目指す境内がございます。
まずはじめに“祓社(はらいのやしろ)”へお参りし、心身を清めます。
ただ、実際には階段上がってすぐに拝殿があるため、こちらのお社へは意識していないと気づかないかもしれません。
祓社の御祭神は「祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)」です。
奈良の大神(おおみわ)神社にも、拝殿に着く手前で、こういったお社が祀られております。(※大神神社の場合は、“祓戸神社(はらえどじんじゃ)”です)
神へ詣でる前にも、心身を清めるためにまた別の神に詣でることができるーーー 神社ならではの丁寧な思想ですし、なおかつとてもありがたいなといつも感じます。
本日は、祓社の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「時ゆくほどに、人は益々“研がれ”、さらに澄やかな存在となっていかねばなりません。
今や万事において物事は複雑に絡み合い、なお(一層)混沌を極める世ですから、知らぬうちに(=知らず知らず)、負う(背負う)ものを、いずれの民も多くしております。
ですが、世が混沌とすればするほど、人は“真理(真実)”を求めてまいります。
では、その真理は一体どうすれば得ることができるのか、そして、何がこの世における“肝心要(かんじんかなめ)”であるのかを、どうすれば感得(しっかりと悟る)ことができるのか ーーー
この疑問は尽きぬことでしょう。
先にもお伝えしたように、人は生きていれば、知らぬうちに(=意識せず)次々と何かしらを背負ってまいります。
“抱えていく”というほうが、むしろ分かりやすいでしょうか。
ですから、一つ何事かを得る(抱える)としたら、それ以上に除ける(=祓う)ことを強く意識せねばならぬのです。
これが、冒頭の“研がれる”ことにも通じます(=相通じます)。
その(方法の)一つが、(神社などの)社へ詣でることです。災い(禍)や厄、負の想念などは、聖域にての祈りのさなかにつぶさに外してまいりましょう。
そして、さらにまた一つの(研がれる)方法があります。
それは、河(川)の流れにも見られるように、流れの激しき場(箇所)に自らを投じることです。
流れの盛んな場ほど、澄みわたる水となります。そして、そこに佇(たたず)む石に汚れは付きません。
ですから、もし研がれるのであれば、緩(ゆる)い(=手ぬるい)よりも、より激しくあれ ーーー この感覚が肝要です。
ときに降りかかる困難は、自らのそれまでの安易な(=甘い)心を戒め、生きることへの意識高めてまいります。そして、己の在り方を今一度見つめ直す契機(きっかけ)となるでしょう。
そうして、自らとそして世に見えるすべての命の尊さと、今世の命のある限り、己が大いに生きることへの“決意”を心に刻みます。
堂々と、その強き抵抗(=困難)に自らを投じ、より研がれていく心意気もまた、時に避けてはならぬことを、あなたがたには是非心に留めていただきたい。
人は生きるほどに、より清らかであらねばなりません。
人生という荒波は、まさに、あなたのその身を、強くそして清らかにするべく研いでまいるでしょう。」
(次回② へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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